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2010年2月11日 (木)

タイガー・ウッズ-バッシングとトヨタ・リコールの類似点。10年2月11日

明日から冬季オリンピック。
トヨタ・リコールで豊田社長は米国議会に呼ばれていたが、ワシントンの大雪で公聴会は24日に延期された。すぐに米国民の関心はオリンピックに移る。その間に全力を注いで汚名返上に努めれば、風向きは良くなる。しかし、対応を間違えると日本企業全体に悪影響が及ぶ。

今回のトヨタの失策に対して、米国では激しいジャパンバッシングが起きている。アメリカ文化の象徴GMを抜いたのだから、当然のことだ。加えて、中間選挙を控えた議員の格好の選挙運動に利用されてしまった。週刊誌の広告に、"タイガーウッズへのバッシングにトヨタ・リコールが似てきた"とあった。内容は知らないが、米国民の心情をうまく捉えた表現だ。どの国でも、世論は表向き正義の追求を装って、優等生が落ちて行くのを楽しむサディスティックな側面を持っている。

タイガー・ウッズはアジア系とアフリカ系の混血。圧倒的な実力で広く認められたが、今回の不倫バッシングを見ていると、白人たちの深層に眠っていた人種差別が噴出したように思える。もし、白人ゴルファーの不倫騒ぎだったら、ゴシップ記事で終わり、これほどのバッシングには至らなかった。

そして、トヨタは説明するまでもなくアジア系企業。圧倒的な実力でGMを追い抜き、米国民のプライドを傷つけていた。そこに、今回の不具合と対処の遅れと大量のリーコル。バッシングに至る要素は揃っていた。隣国カナダからは行き過ぎとの声が出るほどのバッシングだが、常に完璧を目指して成功して来た日本企業にとっては、とても良い教訓になった。

タイガーとの違いは、震源の米国トヨタ社長も従業員も米国人であることだ。だから、タイガーウッズのように延々とバッシングを続ける訳にはいかない。多分、オリンピックと公聴会で鎮静し、風当たりは弱まるかもしれない。幸いなことに日本企業は、日本政府と比べると、はるかに迅速に的確に動くはずだ。やや期待を込めた希望的観測だが・・・。

もし、リコールを素早く終えれば、信頼はすぐに回復するはずだ。むしろ、リコールは誠実さを見せる絶好のチャンス、くらいにダイナミックに対処して欲しい。
しかし、対応を誤ると事態は悪化し解決は長引く。豊田社長の記者会見を見ていて、誠実さはあるが慎重過ぎて統率力は弱いのでは、と感じた。もしかすると、危機対処能力が欠けた側近が足を引っ張っているかもしれない。いずれにせよ、理不尽な仕打ちと思う前に、世論は不公正なものだと覚悟して対処する必要がある。

蛇足だが、オバマへの米国民失望感も上記と共通の要素がある。米国民、殊に白人の公平さは教養であって本質ではない。だから、差別できるきっかけがあれば、いつでも激しく噴出する。トヨタが米国へ出て50年。本質を十分に学んで来たはずなのに忘れていた。その油断は大企業ゆえの官僚化と慢心のせいだろう。
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昨夜は1時まで仕事をしていた。それから、床に入ってNHK教育の高校生講座地学を見ていたが、いつの間にか寝入ってしまった。2時にひどい咳き込みで目覚め、テレビと明かりを消し、きちんと寝た。

今日は冷たい雨。母の足は浮腫んで皮が張り、光っている。一段と心臓が弱り、何をするにも「疲れた。」を口にする。そんな体調だが気持ちは明るく、よく笑顔が出るのが救いだ。

昔から、寒い雨の日は眠く、炬燵などで温もると、すぐに睡魔に襲われた。規則正しい生活ばかり続けていては心が保たない。散歩は止め、日頃の睡眠不足を解消に今日はゴロゴロしていた。しかし、それは3,4時間だけで、すぐに洗濯料理母の世話と忙殺された。

Karin緑道公園のカリン。うねうねとした幹が力強い。

先日、立松和平氏の訃報を聞いた。20年前、私が絵描きに転職してから始めての絵本「こどものためのサティ」の絵を描いた。その本のサティの原文を翻案したのが彼だ。
彼と会ったのは、新橋の小料理屋での打ち合わせの1回だけだ。当時彼は新進作家としてテレビ出演が多く、朴訥な和平調の語りで有名になっていた。会った印象は、血圧が高そうに見えた。
「ゾウさんは身体が大きいから、血圧が上がるので靴ひもが結べないんだ。自然の生き物は、大切にしなければいけない・・」
当時、飲み会で彼の口調を真似して盛り上がった。

それは絵本と音楽CDを一対にして売る東芝EMIの企画だった。以前にも書いたが、私が絵を担当するまでに複雑な事情があった。東芝EMは評論社のメジャーな絵本10種ほどを選び、それに、新作の「こどものためのサティ」を加えた。だから、シリーズの中で無名は私一人だけだった。

始め、評論社は長新太氏を、文の立松和平氏は彼の友人の抽象画家を推した。しかし、東芝EMIは難色を示した。それらが三つどもになって混乱するうちに期日が迫り、結局、無理が利きそうな私に白羽の矢が立った。

東芝EMIが望むのはヘタウマではなく、きちんとした絵だった。2週間でラフスケッチに起こし、関係部署の承諾を得てから、私は本文、表紙、カットを1週間の不眠不休で描き上げた。
ギャラは今の絵本の水準と比べると大変に良かったが、私は絵描きへの転職前に高給を稼いでいたので、大したことはないと思った。

それから20年。レコードも出版も地盤沈下してしまった。毎年依頼があったCDカバーの仕事は10年前を最期にまったくなくなった。そして、先の長新太氏も立松和平氏も鬼籍に入ってしまった。


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