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2010年2月18日 (木)

昔の朝は牛乳瓶のガラガラぶつかる音で始まった。10年2月17日

深夜、教育テレビのフランス語講座でそば粉のガレット作りをしていた。
現地でコックさんが岩塩と水とそば粉を、猛然と100回こねて冷蔵庫で寝かせた。寝かせた生地は水を加えて緩くして薄焼きした。具は卵とハムとチーズ。こんがりと焼き目がついたガレットに溶かしバターを塗って仕上げているのを見ていたら猛烈に腹がすいた。

夕食後は何も食べないことにしているが、厳格に守るとストレスになる。
ガレットの材料はないので、卵を薄焼きして、生ハムを巻いて食べた。とても美味い。甘いものだと後を引き止まらなくなるが、蛋白質主体だと意外に少量で満足感が得られる。

食べた後、すぐに歯磨きした。
今日のテレビで歯科医が興味深いことを話していた。朝、起き抜けの口中は雑菌が繁殖していて、その汚さはウンコ10グラムを口に含んでいるのに匹敵するそうだ。睡眠中、唾液が殆ど出ないのが原因だと言う。聞きながら、ハネムーンで目覚ましにキスを交わしているシーンを思い浮かべた。あれは、夫婦でウンコ唾液を交換しているシーンなのか、とオエッとした。
「だから、歯磨きは食後3回ではなく、起き抜けと寝る前の2回が良い。」
歯科医は言っていたが、雑菌は朝食と一緒に胃液で殺菌される。それで病気になることは滅多にないだろう。私は今まで通り、食べた後に歯磨きするつもりだ。毎食後の歯磨きの爽快感は堪えられない。

Haha写真、お諏訪神社下の通りにて。
この石垣はとても古い。昔、写真右手に工場があったので、その敷地造成のおり、山斜面を削って積んだ石垣だろう。

子供の頃、郷里隣の油津の港近くに、これに似た風景があった。だからか、ここにさしかかると懐かしさが蘇る。母も同じように油津が思い浮かぶようだ。母は最近の記憶はすぐに飛んでしまうが、古い記憶はしっかりしている。

散歩をしながら、昔の朝の光景を思い出した。昔の朝は牛乳配達の荷台のビンのぶつかる音と、道を掃く竹箒の音で始まった。それから、挨拶を交わす声に勤め人の靴音がしばらく続いて、静かになる頃に私は起きた。私は毎朝、彫金の師匠の家へ遅刻出勤していた。すでに仕事を始めている師匠を横目に、奥さんが用意してくれた朝食にケチをつけながら食べた。私はとんでもない弟子だった。

当時は、町内に何でも屋が必ず1軒はあった。早朝から、近所の年寄りや主婦たちが、味噌汁の具や弁当に付け合わせる佃煮などを買いに来た。殆どは間口4メートル程の小さな店だが、豆腐、味噌、野菜、佃煮、干物にゴムひもから縫い糸まで何でも揃っていた。その殆どは昭和50年代に大型店やコンビニに客を奪われ廃業してしまった。

今は年寄りが暮らしにくい時代だ。スーパーは遠く、車がない年寄りは毎日買い物へ行けない。それで買い置き食品に頼り、生鮮食品が不足して健康を害すると言う。「困っていることに商機がある。」とすると、都会でも移動食品店の商機はある。しかし、移動食品店は割高で、現われてもすぐに消えてしまう。税制などで優遇し、住民組織と協力しないと運営は難しい。

傍らのテレビでカーリングの実況をしている。おばさんぽいカナダチームと比べ、青森チームはとても可愛いく、真剣な表情が色っぽい。以前は、石をほうきで誘導していたが、いつの間にかブラシに変わっていた。このスポーツはのんびりしていて奥が深く、駆け引きが面白い。おかげで寝たのは4時過ぎになり、またもや睡眠不足。


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