初午へ母を連れて行った。10年2月2日
2月1日月曜日
今年の2月1日は王子稲荷の初午。去年は2月19日の二の午に連れて行った。去年の日記を見ると、好天で暖かそうだ。母の顔色も良く、今よりずっと元気に見える。去年は、次は無理と思っていたが、今年も連れて行けた。
どんよりと曇り、薄ら寒い。いつものように、地下鉄南北線で王子駅下車。直ぐ前の北トピア10階の車椅子用トイレを使った。
トイレから赤羽方面を見る。
このトイレは私が知っている中で、最高に眺望が良い。円いドームはプラネタリウム。左斜め上の森の一角にある緑青をふいた屋根が、これから行く王子稲荷。森は名主の滝公園。
夜には雪になると言う。今年は三の午まであるのと、天気の悪さで、いつもより参詣客は少ない。王子駅から続く縁日は、近くの中央工学校の学生が多く、若々しい女学生たちを眺めるのが楽しい。
車椅子を王子稲荷横の急坂を押し上げ、本殿前まで押して行った。
母にお詣りさせた後、私は裏山のキツネ穴まで全部の社をお詣りした。その中に15キロ程の石が祀られている社がある。願い事を唱えながら持ち上げ、軽いなら願い事が叶う。私は、胸までスーッと上がったが、やや重い感じ。他の人は15センチ程度なので、重くても良しとした。
お詣りを済ませ、キツネの石像が可愛いと母と話していると、埼玉から来た中年女性が母に話しかけた。車椅子を押しているとよくあることだ。介護のことなど話したいようだが、雨が降りそうなので、丁寧に辞して先を急いだ。
王子稲荷となりの中央工学校のウインドウ前にて。
ロボット模型は学生が作ったもの。
帰りは混み合う縁日を避け、静かな中央工学校前の道を選んだ。すれ違った中年女性が「ご苦労様。」と笑顔で挨拶して行った。車椅子を押していると、知らない人が挨拶してくれる。
いつものように音無親水公園まで行った。公園は王子駅への通路にもなっているので人通りが多い。しかし、すぐに雨が落ち始めたので、慌てて地下鉄へ急いだ。
赤羽岩淵に着くころに雨は本降りになった。
持参した雨具を母に被せ、帰路を急いだ。午後二時で空腹。早く帰って食事にしたい。
「今年もお詣りできて、本当に良かった。」
帰り道、車椅子の母が何度も言った。母の弱り方を見ていると、今回が本当に最後のお詣りになりそうだ。毎年、同じことを書いているが、年々、確信が深まる。寂しいことだ。
昼食はありもので、手早く済ませた。
食後、録画してあったテレ朝日曜洋画劇場、吉永小百合主演の「母べえ (かあべえ)」を母に見せた。
「かわべえ、って何のこと。」
母が聞くので「川辺の塀のことだ。」と答えた。
「戦争は、いやだ、いやだ。」
母は映画を見ながら何度もつぶやいていた。
外気温はグングン下がり、夜半から雪の予報は当たりそうだ。
2月2日
夜半の雪は4センチほど積もった。
車椅子は雪が苦手だ。殊に御諏訪神社脇の急坂が滑る。お昼まで、雪が溶けるのを待って散歩へ出た。
母をいつも歩かせる東京北社会保険病院下公園は雪が残っていたので、病院内の通路を歩かせた。
東京北社会保険病院の庭の雪。
庭を抜け、桐ヶ丘生協で買い物をして、帰りは桐ヶ丘を抜けた。
冬木立の間に残る雪が、風景を北国に変えていた。
最近、母の死期が気になる。今の住まいを選んだのは、眺望が良く、母の死に場所としてふさわしいと思ったからだ。その頃、母の命は88歳辺りが限界と思っていた。仕事が思わしくなくてもその辺りまでなら蓄えで暮らせると思っていた。
しかし、母は88歳から9年近く長く生きた。正直言うと、今の生活を維持するのがとても厳しい。更に追い打ちをかけるように、この大不況だ。それまで絵を買ってくれていた人たちの家計も厳しく、かなりの時間耐えなければならない。人生は予定通りいかないものだ。
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