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2010年3月16日 (火)

テレビ朝日「ちい散歩」を見ていたら、「君の名は」が聞きたくなった。10年3月15日

最近、母の散歩支度に手がかかるようになった。車椅子まで連れて行き、さあ出発の段でトイレに行きたいと言うことがしばしばだ。今日もそれで、10時に出る予定が11時に遅れてしまった。
母が用を足す間、テレ朝の"ちい散歩"を見ていた。今日の散歩コース、相模原の映画館に「君の名は」の看板がかかっていた。地井武男は、私とほぼ同時代の人間だ。彼は歩きながら「君の名は」の主題歌を口ずさみ始めた。

「君の名は」は、女湯が空になったと伝説がある超人気のNHKラジオ連続ドラマだ。私は当時小学2年でメロドラマには興味がなく、ラジオ放送の記憶はない。しかし、昭和28年に岸惠子と佐田啓二で映画化された「君の名は」は長姉と見た。

遊び好きの長姉が隣町の油津へ映画を見に行くと言うと、母は小学2年生の私を見張り役に付けて行かせた。その映画が「君の名は」だった。印象に残っているのは北海道編の、後宮春樹-佐田啓二を慕うアイヌ娘の唄う「黒百合の歌」だ。アイヌの娘役は北原三枝だったように記憶している。彼女は歌はダメなので、唄っていたのは主題歌と同じく織井茂子だ。おどろおどろしくドンジャカジャン、ドンジャカジャンの前奏から入るエキゾチックな歌は強烈だった。映画を見てからは、地井武男のように主題歌と併せて「黒百合の歌」を口ずさんでいた。

主題歌の導入部には「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして慕う心の悲しさを・・・」の台詞が入った。それを「O脚とは忘れ去ることなり・・・」と、すり替えて面白がっていた。今思うと、ませた小学2年生だった。

「どんな映画を見たの。」
帰宅するとすぐに母が聞いた。
「川で、女の人が裸でカエル泳ぎしていた。」
そのシーンを身振り手振りで一生懸命に説明すると、「子供にそんなものを見せて」と母は怒った。もちろん、当時の映画に今時のような過激シーンはない。遠い谷間で女の人が泳いでいたのが、子供の私には裸に見えただけだ。

実を言うと、その時、「カエルが泳いじょる。」と、私は客席で大きい声を出した。すると、回りが大爆笑した。その時姉は、とても恥ずかしい思いをしたようだ。

すれ違いメロドラマは「君の名は」で完成した。当時の田舎映画館はにぎやかで、春樹と真知子がすれ違うシーンでは、「春樹、真知子、後ろを見ろ。」と、やきもきした客席のおばちゃんたちが声をかけ、ため息を漏らした。すれ違いドラマは70年代になって、韓国ドラマにそっくりそのまま模倣され近年まで本流だったが、今は携帯電話の登場で難しくなった。

岸惠子扮する主人公の名は氏家真知子。私を映画に連れて行った長姉の嫁ぎ先の姓も氏家だった。その姉は一昨年秋、70歳で波乱の人生を閉じた。そんなことを思い出していたら、急に「君の名は」の主題歌が聞きたくなり、youtubeで探して見つけた。

見る条件--最新アップデート済みのWindows 2000 以降。Mac OS X 10.3 以降。Firefox 1.1 以降。Internet Explorer 5.0 以降。Safari 1.0 以降。500 Kbps 以上のブロードバンド接続。

今見るとモノクロ画面が古いヨーロッパ映画のように味わい深い。掘り割りに架かった数寄屋橋にクラシックなビル群。敗戦後8年なのに随分復旧は進んでいるようだ。冒頭の空襲シーンがリアルなのは、スタッフが生々しく体験しているからだろう。

主演の岸惠子は今も時折ドラマに出演するが、佐田啓二は昭和39年夏、信州の別荘から東京へ戻る途中、韮崎市の国道20号線で交通事故に遭い死去した。享年37歳。上京2年目の私はそのニュースをはっきりと記憶している。俳優の中井貴一、中井貴惠は彼の実子。

モノクロの画面を眺めていると、昭和20年代が走馬灯のように思い出された。映画の後、岸恵子がマフラーを頭から首を覆うように巻いていたのが、真知子巻きとして大流行した。
映画は見る人の過去を形作ると言われるが、本当にそうだ。

Haha_2暖かくなったので、母はダウンのコートから春用に衣替えした。
写真は東京北社会保険病院下の公園。
斜面に薄紫のダイコンの花が満開だ。

57年前、「子供に"君の名は"なんか見せて」と姉を怒っていた母は、当時、40歳の若さだった。
そんな母だが、油津の映画館で話題の洋画が上演されると、必ず私を小学校から早引けさせて連れて行くほどの映画狂だった。だから私は、小さな漁師町の大堂津に住みながら、戦後の名作洋画はど総て観ている。そして、その映像の記憶が絵を描くのに大変に役立っている。

母が学校をさぼらせたのは、田舎では名作洋画は人気がなく、すぐに西部劇などの活劇に入れ替わっていたからだ。母は、名作映画は授業をさぼらせるだけの価値があると思っていたようだ。

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