人口ボーナス。落ちて行くもの、上って行くもの、世は様々。10年3月24日
明日は水道工事のため1日断水する。母のシャワー介助の予定日だったが、今日の夕方に前倒ししてもらった。最近母はシャワーだけでひどく疲るので、体力温存のために散歩を休んだ。
お昼前、母をベットに寝かせて散髪へ出かけた。時折、みぞれが交じる冷たい雨に、咲き始めた桜は重く頭をたれていた。満開のコブシと白モクレンは、週末には散る気配だ。
前客はいず、直ぐに散髪してもらった。頭をあたってもらいながら、幾度も居眠りしてしまった。睡眠不足は限界のようだ。今夜は仕事せずに、レンドルミンを飲んで早く寝ることにした。
床屋さんのお父さんと母は同じ歳だったが、4年前に亡くなった。以前はお父さんに頭をあたってもらっていたが、80歳を過ぎたあたりで、息子さんに代わった。これからの母の参考に、終末期の医療費を聞こうと思ったがやめた。
散髪は1時に終わり、その後、駅前で食材を買った。
イトーヨーカ堂の鶏胸肉特売は4枚で500円と格安だった。胸肉の皮は甘味噌に1晩漬け、電子レンジで長時間加熱する。すると、油が大量に分離して皮は飴色に引き締まって美味い。それを細かく刻んで出すと母は喜んで食べてくれる。
胸肉は塩胡椒をふってグリルで焼き冷凍しておき、毎日、100グラムずつ食べる。
夕暮れ、ヘルパーのOさんが来訪した。Oさんは今週も母に会えたと素朴に喜んでいた。折りにふれ、花などを持って来てくれる心優しい人だ。
シャワー介助の後、洗濯をしたので夕食は遅れた。9時にやっと母の世話が終わり、テレビを見ようとしたが見たい番組がない。最近の民放は格安予算の低俗なバラエティーばかりだ。アメリカではテレビ離れが進み、テレビ局の大リストラが始まっていると言う。今の様子では、日本の放送界も大リストラの嵐が吹き荒れそうだ。
昼間の経済番組で"人口ボーナス"について解説していた。簡単に言うと、少子化が始まる段階で、一時的に働き盛り世代の割合が増える。その世代は子供に金がかからないので、収入が消費に回り好景気が続く。その好景気を"人口ボーナス"と言う。日本は1960年辺りからバブル崩壊の1990年辺りまで30年間続いた。昭和の時代、不景気になっても何となく活気があったのは"人口ボーナス"のせいだったようだ。
人口ボーナスを家庭に例えると分かりやすい。子だくさんで貧乏な家庭があったとする。やがて子供たちは成長して働き始め家庭は豊かになる。しかし、子供たちは親の生き方に反して子供を少ししか作らず、少子高齢化が進んで一族は衰退して行く。
今、台湾、中国、韓国は人口ボーナスを享受しているが、それはあと5年で同時に終わると言う。好景気の間に台湾と韓国は、その後に対応した経済構造に変えられた。しかし、中国は膨大な農村人口の近代化のタイムリミットを失い、安定した経済発展は難しい。中国は"人口ボーナス"の前半に文化大革命などの不幸があったからだ。今の中国の活況があと5年で衰退し始め、日本以上の少子高齢化に苦しむことになる。今、中国はグーグル問題に見られるように言論統制に躍起になっている。それは、5年後以降に訪れる低迷期に予測される、人民の反政府運動を事前に押さえ込もうとしているからだ。
ちなみに、インドの"人口ボーナス"は30年後まで続く。しかし、インドには人口爆発による食糧難など、別の難問が生じそうだ。いずれにせよ、今世紀半ばまでに、新しい経済システムを再構築しないと、今の子供たちの老後は厳しいものになる。
歴史的に、好景気をいつまでも維持した国はない。盛りがあれば落日がある。しかし、科学技術が順調に発展して安価で良質なエネルギーが得られれば、経済は安定して持続する。そのような時代は今世紀後半まで待つことになりそうだ。
新河岸川を下る清掃船。
ベルトコンベアで水面のゴミを拾い集める。
新河岸川を上る、曵き船。
河岸の桜が色づいている。
橋の上は埼京線北赤羽駅。
東京北社会保険病院庭のスミレ。
淡い藤色で、前身の国立王子病院の頃から、群落を作っていた。
鎌倉時代はここに武家屋敷があった。
その頃からスミレは咲いていたのだろう。
小学館の絵本月刊誌「おひさま」が届いた。昔仕事をしただけなのに、律儀なのか無駄遣いなのか、毎月送って来る。私は後者の方だと思っている。
パラパラとめくっていると、「次号から隔月発行に変わります。」の告知があった。絵本作家に取って、レギュラーの仕事は貴重だ。それが半分になるとは大変な事態だ。
私が絵本を担当した頃は、今より出版の状況は良かった。それでも、本屋の店頭で「おひさま」を見かけることは滅多になく、いずれ廃刊だろうと思っていた。
「おひさま」は担当編集を減らし、やがてその部署もなくなるのだろう。
落ちて行くものがあれば、上って行くものもある。上って行くものを見つけて、しがみつこうと思っているが、なかなか見当たらない。
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「おじいちゃんのバス停」
シーン2
バスが 来ると おじいちゃんは いつも 同じことを聞く
「このバスは ドングリ山へ 行きますか」
バスの車掌さんは いつも すまなそうに 答える
「いえ ドングリ山へは 行きません」
おじいちゃんは いつも がっかりして 引き返す
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