« 桜の季節に死と向き合う。10年3月28日 | トップページ | 満開の桜の下にて、過ぎ行く歳月を想う。10年4月3日 »

2010年4月 1日 (木)

子供手当てとゆとり教育。10年3月31日

このところ、何かといそがしく、ブログを書く時間が取れない。と言っても重要なことではない。殆どは炊事洗濯掃除の家事で、のんびりやっていると、あっという間に時間がなくなってしまう。先日、生活危機を乗り越えることができて安堵し、自分をせき立てなくなったのが大きな原因だ。そろそろ焦りが出始めたので、また、元に戻るとは思っている。

夜、友人に電話を入れた。彼は生活に困ると絵を買ってくれていたが、今回の危機ではあえて何も知らせなかった。危機を乗り越えたと話すと、とても喜んでいた。彼も私たちの生活は気になっていたようだ。

彼は語学教室を手広くやっている。今年は子供手当のおかげで塾業界は活況の様子だ。それで教師の確保にてんてこ舞いしていて、彼からも連絡はなかった。ゆとり教育で学力が低下したのに、不況で教育費に回せるお金が減っていた。それが子供手当でゆとりができた。批判の多い子供手当だが、これで日本の子供の学力は伸びそうだ。

円周率3で悪評だったゆとり教育が終了したのは日本のために良かった。ゆとり教育は落ちこぼれをなくすのを目的にしているらしいが、優秀な子を道連れに引き下げてしまう弊害があった。
私はおちこぼれが悪いとは思っていない。歴史的にも、アインシュタインは小学生時代、完全な落ちこぼれだった。

ゆとり教育を考え出した文科省の役人は、時間さえ与えれば落ちこぼれは解決すると思っている。エリート役人なら子供の頃から勉強好きで、それで良かった。しかし、普通の子供は、ゆとりを与えれば際限なく勉強しない。だから、本当のおちこぼれは、昔のように特別教室にまとめて教育したが良い。それを差別だと言う向きがあるが、社会に出れば、もっと熾烈な差別が一生続く。

昨日、特集番組で、ゆとり教育を受けた世代の特徴を言っていた。強く叱ると泣き出す。きつい仕事の定着率が極端に悪い。物事を深く考えたり挑戦するのが苦手。それが本当なら、ゆとり教育は目的と逆の教育をしていたようだ。

先程、母のブザーが鳴った。今夜は5度目だ。
すぐに行くと「正喜がいなくなったようだけど。」と私に聞く。
「ここにいるよ。」
本人がそう言っても母は釈然としない。どうやら、頭が混乱しているようだ。
「こんな手のかかる年寄りを置いて出て行ったら、皆に迷惑をかける。出て行く訳ないだろう」
強く言うと、母は「その通りだね」と笑った。

隣室で一休みしていると、母はすぐに寝入った。高齢者の幻覚や混乱は現実逃避の現象で、死をスムースに受け入れる準備だ。だから、無理に治す必要はない。

HahaAkaba_2漢方薬屋の帰り。写真は稲付城趾。

写真を撮った足元は戦国時代は沼地で、天然の堀になっていた。
稲付城は太田道灌の居城。

下写真。赤羽台団地。
この風景は2,3年後に消え、無味乾燥な真四角の高層アパートに建て変わる。

今日は暖かくなると予報で言っていたが、外れて寒かった。
久しぶりに団地を抜けると、あちこちが塀で仕切られ、取り壊しと建築が始まっていた。住民も激減し、団地商店街の殆どはシャッターを下ろし、歩く人もいなかった。団地の建て替えが完了しても、昔の活気は戻って来そうにない。

Ma_3

Ma_4

Ma_5

|

« 桜の季節に死と向き合う。10年3月28日 | トップページ | 満開の桜の下にて、過ぎ行く歳月を想う。10年4月3日 »

心と体」カテゴリの記事