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2010年4月21日 (水)

春冷の中、久しぶりの夏日に寂れた赤羽台団地を抜けた。10年4月21日

昨夜のNHKドラマ「八日目の蝉」は見応えがあった。このクラスのドラマを斜陽の民放で作るのは難しい。だからか、民放は安くて主婦層に人気がある韓流ドラマばかり流している。

おばちゃんたちには大人気だが、私にはしっくり来ない。韓流は、主婦に大評判のレストランみたいなものだ。程々の値段で、雰囲気も良く、しつけの良い、ちょっと二枚目のウエイターがいるが、肝心の料理は評判ほどではない。それでも、ワイワイお喋りしながら食べれば美味しくなる。ドラマは所詮娯楽で、深く考えることはないのだろう。

以前は、韓流の評判作は一応目を通していた。しかし、ストーリーの詰めの甘さが目につき、見なくなった。時代が違うが、黒沢とか小津とか溝口とか、彼らに匹敵する作家が出てくれば見るかもしれない。しかし、即戦力重視で、利益が出そうにないものには金を使わないシステム上、それは無理だ。それは韓国のジャーナリストが「なぜ、我が国にはノーベル賞クラスの学者が生まれにくいのか。」の中で語っていたことだ。

昨夕のクローズアップ現代で、藻類から石油を作る研究をしている日本人学者が登場していた。先進的成果を出している世界的な学者だが、まったく予算を付けてもらえず、研究は粗末なビニールハウスの中で行われていた。対してアメリカは、200億の国からの資金と企業の支援のもと、戦略的に研究開発が行われている。これでは、戦う前に勝敗は決まったようなものだ。

一方、天下りで、4,5年の間に億以上の収入を得ている元官僚が多くいる。
「最高学府を出て、難しい公務員試験を突破した。同じ程度の経歴の民間人と比べ、収入は多いとは言えない。」
天下り元官僚の言葉だ。貧しい研究資金で優れた成果を出している研究者は無視され、日本のために役立たない無能な官僚は厚遇される。自民党時代に積もり積もったこの悪弊が民主政権で一気に一掃されると大いに期待していたが、今は完全に裏切られてしまった。

普天間問題は様々な意味で腹が立つ。日本国内、総ての地域で猛反対なのに、どの党が解決できると言うのだろうか。そんなに国民から嫌がられている基地を沖縄だけが背負える訳がない。
検討されている移転予定地は、何れも海と自然が美しい豊かな土地だ。アメリカの不毛の荒れ地に基地を作るのと訳が違う。
米国マスコミが友好国首相をバカ無能扱いしていたが、無礼で怒りを覚えた。日本人があれこれ言う分は許せる。しかし、外国人に言われると無性に腹が立つ。外務省は、普天間問題と切り離して厳重抗議すべきだ。しかし、そうしたと言う報道は聞かない。外務省も亡国の無能官僚ばかりのようだ。

ちなみに、世界各地にあった米軍基地の多くが、現地政権が変わったために、要求に従って移転している。日本のみが米国に要求できないとは、世界の常識から逸脱している。
マスコミの偏った報道を信じている人には意外だろうが、鳩山首相の沖縄での評価は高い。歴代首相の中で唯一沖縄の立場を考えてくれた人だからだ。よく考えてみると、困っている国民を助けようとする彼の言動は正論だ。揚げ足を取っている保守勢力にこそ、汚い裏世界を感じる。50年も長期政権が続けば、米軍基地から派生した利権が相当数生まれている。国益の美名のもと、マスコミも国民も踊らされているように思えてならない。

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久しぶりに赤羽台団地を抜けた。上写真の地域は昔のままだが、少し入ると、無味乾燥な真四角の高層アパートばかりに建て変わっている。
花は里桜。このピンク色は品がなく、人気はいまいちだ。


Haha3_2Aka1_2左写真。赤羽台団地の商店街。
すっかりシャッター通りになってしまい、この並びで開いているのは1軒のみだ。

5年前まで、馴染みの八百屋が開いていたが、夫婦とも身体を壊し廃業してしまった。
主人は東北の人で、帰省する時、車窓に見える赤羽台団地を見上げながら、いつかここに店を開きたい、と思ったそうだ。

彼は江東区の八百屋で修行を終えると、高倍率の競争を勝ち抜き、念願通りここに店を出すことができた。

私が団地近くに住んでいた20年前まで、若い人を雇い、暮れは食事をする間がない程、客が殺到していた。それが、団地の高齢化に従って客が消え、あっという間に寂れてしまった。
立て替えた新しい住まいは核家族化が進み、商店街活性化には、さほど寄与しないようだ。

下写真。赤羽台団地から赤羽駅方面へ下る道。
この一角は、地方都市のようで、好きな風景だ。

左手には団地の公園がある。コンクリート製の動物の遊具が設置してあるが、今は遊んでいる子供は見かけない。

1時頃に帰宅した。25度を越す夏日に母は疲れた。足元がおぼつかない母を、抱えるようにベットへ連れて行った。日に日に、母は確実に弱っている。粗相も日常的になって、すっかり慣れてしまった。

傍らのテレビニュースでオリンピックのサラマンチ前会長が89歳で死去と伝えていた。母が89歳の頃はとても元気だった。最高の医療を受けたのに死ぬ人がいる一方、がん手術を繰り返し、大したこともしていないのに97歳まで生きている母。それぞれに備わった寿命は、変えられないもののようだ。

今は、母がどのような最期を迎えるのか気になる。できることなら、春か秋の気持ちのよい昼間、「ああ眠い。」と言ったきり、逝って欲しい。しかし、これだけは「神のみぞ知る」だ。

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