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2010年4月26日 (月)

内田樹が上野千鶴子に反論。独り者では男も女も生きられない。10年4月26日

新聞の週刊誌広告は必ず見る。しかし、見出しだけで中身が分かるので買うことは少ない。
昨日、気になった広告は週刊ポスト。見出しは"内田樹(うちだ たつる )が上野千鶴子に大反論"「おひとりさまでは男も女も生きられない」。
内田樹なる人物については疎い。1950年9月30日生まれ。東大卒の思想家、エッセイスト、元フランス文学研究者、元翻訳家、大学教員 、と概歴にあった。

気にはなったが、記事の中身を知りたいとは思わなかった。何故なら、財産も年金もない私は、独り者男にふりかかる総ての不幸と、その寂しさや行く末をよく知っているからだ。
私は、多くの結婚を迫る女性たちを跳ね除け、熟考の上独り身を選んだ。だから、内田樹氏や上野千鶴子氏がどんなに立派なことを言っても何の影響も受けない。

もっとも内田樹氏本人は、上野千鶴子氏へ反論も論争もしていないようだ。週間ポストの販売戦略で、目を引く、その題名にしたのが真相だった。

成り行きで話すと、私の家族は97歳の母だけだ。
母がいることで安らぎはあるが、介護負担のストレスも大きい。その上、たった一人の家族は老いて、いつ突然死してもおかしくない。実際、深夜、様子を見に行くと呼吸をしていないように見えることがしばしばある。だから、母の死を悲しむことはあっても驚いたりはしない。

毎日の車椅子散歩から帰ると母はすぐにベットに横になる。その間、私も10分ほどの仮眠を取る。
今日は仮眠に入った途端、けたたましくブザーが鳴った。それはとてもいやな音で、母が死んだら真っ先にうるさいブザーを捨ててやろうと思っている。

急いで母の部屋へ行くと、手まりを落したから探してくれと言った。
「ベットを毎日掃除をしているけど、手まりなんか見たことはないよ」
そう言ったが、母は赤い糸で作った手まりがいつも枕元に置いてあった、と言い張る。どうやら、昔のことを幻覚していたようだ。

そのように、母はしばしばおかしくなる。しかし、外に車椅子で連れ出すと、とてもしっかりしている。
今日の散歩途中、いつものように御諏訪神社階段下に母の車椅子を置いてお詣りを済ますと、聞き覚えのある声が聞こえた。
「急に姿が見えなくなったので、どうされているか、みんなで心配していました」
去年の晩秋まで毎日通っていた自然公園での顔馴染みの声だ。
「近くに、良い公園がありますので、今はそちらで済ませています」
母はハキハキと明るい声で答えていた。

顔を合わせると話しが長くなるので、彼女が去るのを待って階段を下りた。母は懐かしい人に会って嬉しそうにしていた。
実際はとても弱っているのに、母に会った彼女は、
「とても元気そうだった」
と、みんなに話すだろう。


Haha


散歩コースの公園にて。

そのように、母が生きているかぎり、良いことも煩わしいことも色々ある。
しかし、母が死ねば、思い出や人との繋がりも多くは喪失し、生活は激変するだろう。
そして、介護の煩わしさに対してさえ深い喪失感を覚えるはずだ。

結婚をしていれば、息子が結婚したとか、孫が生まれたとか、繋がりは広がって行く。対して貧乏な独り身は、喪失し続けるばかりで広がりはない。それでも、独り身が嫌とは思っていない。総て覚悟の上の独り身で、ふりかかる幸不幸はまとめて受け入れようと思っている。


独り身の孤独は、上野千鶴子氏は仲間作りで解消できると言う。しかし、彼女は売れっ子の大学教授だ。老後を安楽に暮らせるだけの財産があり、補佐するスタッフも多く、全国各地に彼女の崇拝者がいる。彼女については、間接的に仕事で絡んだことがあり、ほんの少しだけ世間より知っている。

彼女は多忙な仕事の合間の、アンニュイな孤独は知っていても、底なしの孤独とは無縁のはずだ。まして、仲間作りは女性の得意分野で、男には向いていない。男は、目標へ向かって協力することはできても、茶飲み話をしながら寂しさを慰め合うのは不得意だ。だから、上野千鶴子氏の孤独な老後への対処方法は私たち男にはまったく通用しない。


始めに戻るが、内田氏の考えは上野千鶴子氏への反論でない。
"生活単位を小さくする国策を推進すべきでない"が真相だ。その一番小さい単位が独り身で、今の国策では独り身は増える一方となる、と言った真面目な話しだ。確かに、国策で子供を増やそうとしているのに、それを下支えする、保育施設や産休などの環境づくりが疎かで、それでは国民は結婚に希望を見出せない。

それらの考えの相違を、週刊ポストが無理やり対立させて、題名にしたのが真相だった。


Mizuki_2昨日の日曜日は青空に新緑が映えた。

好天に日曜と赤羽祭りが重なって、赤羽駅前は大変な混雑だった。

楽団の行進が人混みの頭越しに見えた。銀色のテューバがキラキラ光って美しい。

高校生の楽団でも胸が躍るのだから、昔の、訓練されたナチスの大規模な軍楽隊では想像以上の影響力があっただろう。ナチスのやったことに目をつぶれば、当時の宣伝映像を見ると気味が悪いくらい心が高ぶる。

写真は住まい近くの紅白のハナミズキ。
この、不思議な紅色は好きだ。

上京したころは少なかったが、20年前から急に増えた。大気汚染に強い都会向きの花木なのだろう。

事業仕分けでUR都市再生機構(旧公団)がやり玉に上がっていた。
賃貸は真っ先に民間に払い下げられそうだ。

システムには問題ありだが、民間にないおおようさは住みやすい。
公団住宅である我が家は玄関前に半畳ほどの空間があり、車椅子を置くのに重宝している。トイレも広く、年寄りをかかえている家庭は助かっている。

民間は効率一方なので、そのようなゆとりがなくなりそうだ。礼金敷金制度も持ち込まれそうだ。そのような悪弊を一掃した上での民営化なら良いが、そうは行かないだろう。

今は母のために医療機関が多い今の住まいにこだわっている。母が生きている間は、我が家の民営化はないだろう。しかし、母が死んだら、家賃が安い田舎へ引っ越そうと思っている。


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