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2010年4月30日 (金)

昭和は遠くなり、母の回りはカレンダーと時計だらけになった。10年4月29日

今日は昭和の日。テレビは朝から60年代の映像を流していた。狭いアーパートに大家族。新幹線に東京タワー。どれもリアルに体験して来たことばかりだ。
三種の神器が、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫から、カラーテレビ、クーラー、自動車に変わったのもその頃だ。当時、時計部品製作で成功していた遠い親戚を訪ねると、応接室にカラーテレビが置いてあった。値段を聞くとサラリーマンの年収ほどで、大変に驚いた。

その頃、私は彫金職人をしていた。職人全般、高収入の時代で、私は一般サラリーマンの3倍は稼いでいた。その後、堅実な生き方をしていたら、普通に結婚して子供を作り、運が良ければ今頃は、孫を相手に楽隠居をしていただろう。"運が良ければ"と言ったのは、その後、彫金の仕事が低賃金の海外に移り国内では成り立たなくなったからだ。それでも私は目端が利いていたので、危機を乗り越え、デザインを手がけてブランドを立ち上げ、成功したかもしれない。

しかし、私の目標は野垂れ死にしてでも絵描きになることだった。行動は遅れたが、43歳から絵描きに転身し、何とか目標を果たした。だが、覚悟と現実は大きく違う。現実に厳しい生活に晒されると、想像していたよりかなり辛い。だから、絵描き希望の若者から相談を受けた時は、きびしい現実を告げることにしている。

昨夜は歌舞伎座の本当の千秋楽だった。今日から閉鎖され、3年後に劇場を兼ねたビジネスビルに建て変わる。
上京して始めて歌舞伎座を見たのは、50年近く前だ。桃山風の屋根に正面玄関の唐破風を見て「でっかいお風呂屋だ。」と一瞬思った。すぐに歌舞伎座と分かったが、観劇したい気になれなかった。
母は歌舞伎が好きで60代までよく行っていた。だが、立て替えのニュースを聞いても無関心だった。新歌舞伎座の完成まで生きていられない、と分かっているからだ。

同じ和風でも、古い社寺仏閣は大好きだ。だが、目黒雅叙園、国立博物館、奈良ホテル、と和洋折衷の近世の建物は古臭くて安っぽくて好きになれない。とは言え、歌舞伎座が消えるのを知ると、昭和が遠くなったと感じる。

今日の政治ニュースは普天間基地移設一色で「失敗したら即辞任せよ」と野党幹事長が息巻いていた。しかし、鳩山首相が辞任しても、この移設は巧く行かない。10年前に自民党が地元と合意した辺野古移設案は測量すら始まっていなかった。なのに、どの党がどのようにこの問題を解決すると言うのだろうか。絶対に無理だが、日本を守るためなら首都圏に基地を移設するのが最善だ。

KominSansyo今日の散歩で、昔住んでいた赤羽台を抜けた。
上写真は、この一帯を所有する旧家。
この家だけは以前と変わらない。

近くの家の庭に山椒があったので少し貰った。
この辺りの家の庭にはたいてい山椒が植えてある。
新筍の木の芽和えを作る時、以前はちょっと出かけてこっそり頂いていた。

赤羽台団地を抜けて駅前に出た。
好天と休日が重なり、大変な混雑だ。買い物らしい子供の手を引いた若いお母さんが、付けまつ毛をしてしっかり化粧をしていたのが気になった。

お母さんが付けまつ毛をしなくなるのは、いつ頃なのだろうか。そのきっかけは年齢より体型の変化が大きい気がする。付けまつ毛は結構ストレスになる。体型が崩れて頑張りたくないと思った時、化粧を止めてスッピンになるのだろう。

ある日、小学生の子供が帰宅すると、知らないおばさんに「お帰り。」と言われる。母親が知らないおばさんに変わった瞬間は、子供にとって大ショックだろう。

それに関して、「ヨーロッパの女性は素顔を大切にしている」と日本女性のファンデーションを非難している識者がいた。NHKの「世界ふれあい街歩き」を見ていると、あちらの女性は素顔が多い。しかし、ヨーロッパがすることは何でも良い、には反発を感じる。日本はヨーロッパよりも紫外線が強い。付けまつ毛は行き過ぎだが、UV対策をしたフンデーションは健康のために必須だ。

民主党の仙石大臣が、これからは幸福度を大切にする、と記者会見していた。そのモデルとしてブータンを取り上げていたが、確かにブータン国民の顔は明るく満足感がある。幸福度の要素は健康と安定した生活と家族、あるいは、地域コミュニティーの支えだ。病気になったり失業しても、支えてくれるものがあれば何とか耐えられる。

最近の母は時計とカレンダーにこだわっていて困っている。深夜、ブザーで呼ばれて行くと「時計が止まっている。」と訴える。壊れていないと説明しても「針が動いていない」と納得しない。面倒なので、次々と時計を買った。今は母のベットの回りに4個の置き時計、壁には2個の掛け時計がある。

カレンダーも、至る所に下げてある。母のベットと椅子の横と食卓にも置いてある。母は日付に丸を付ける。しかし、すぐに付けたことを忘れるので、1日に4,5日日付けが進んで、半月前から5月に代わっている。余命が短くなると、時間や日付が気になり始めるようだ。

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