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2010年5月18日 (火)

最近、振り返ると、自分を追いかける死神がチラチラ見える。10年5月18日

ケアマネのAさんから、母に訪問入浴サービスを薦められた。
それには嫌な思い出があるので、「少し考えさせて欲しい。」と答えた。

30年ほど昔、寝たっきりの父のため、区に訪問入浴サービスを頼んだ。
システムは今と殆ど同じで、山の上の住まいに簡易浴槽が運ばれ、50メートルほど離れた入浴車から伸びたホースでお湯が注がれた。父はお湯がぬるくて寒いと訴えていたが、スタッフは気にせずさっさと作業を終えて帰って行った。
その後、父は肺炎を起こして弱り、3ヶ月後に死んだ。

父の死後、区の担当に電話を入れた。
「ホースが長いと、お湯が冷めるのでは、」と指摘すると、担当職員は「絶対に、そのようなことが起きないように配慮しています。」と強く否定した。私が電話をしたのは抗議のためではなく、他の利用者のためだ。しかし、担当者は責任を取らされると思い、猛然と否定したようだ。

今の住まいは13階で、部屋の簡易浴槽にどのような形でお湯を供給するのか知らない。もし、地上の入浴車からホースを伸ばすのなら、かなり問題ありだ。その辺りが改良されているとしても、不安は残る。
それで、今まで通りシャワー介助を受けられる方法を考えた。室内用車椅子が浴室の敷居を跨げれば、シャワー用椅子に母を腰かけさせることができる。それには、脱衣所の床に6センチの高さの台を置けば可能だ。早速、ホームセンターで20ミリ厚のベニヤを買って来て、40ミリの角材を裏に付けた。
車椅子で試すと、問題なく浴室の敷居を跨げる。これで、しばらくは入浴の心配が消えた。

退院以来、悩まされていた母の舌苔は、毎日、丹念に舌ブラシで落とした。今は、息の臭さが消え、ピンク色の健康色に戻った。舌苔の細菌巣が肺の感染症を引き起こしていたのか、咳とタンも減った。

退院後、回復した食欲は再び落ち始めた。少量のご飯でも、食べきれなくて残す。足りないカロリーは、のどごしの良い果物やプリンなどで補っている。

今の母の姿は、老いて行く、と言うより緩慢な死に近い。居眠り中は身体を揺すっても、死んだように目覚めない。

深夜は幻覚で悩まされ、私を起こして意味不明のことを訴える。
昨夜は「どなたか、いませんか。」と呼び続ける声で目覚めた。急いで行くと「正喜がいてくれたの。ああ良かった。」と嬉しそうにした。
「ここは家だから、いつでも居るよ。」と話しかけると、母は次第に正気がもどった。
「起こしてしまってごめんね。さあ、早く寝て。」と母は何度も謝った。
家族がすぐ傍についていても、母は孤独からは免れない。老いの寂しさがひしひしと伝わった。

Miti1_3TutaKahan_2上写真、小豆沢。
御諏訪神社下から中山道へ至る。
新緑が深い。初夏のような強い日射し。左坂道を上って行くと小豆沢運動公園へ至る。

中写真。ホームセンター・ドイト近くの古いアパート。
運送会社の寮で、昔は家族連れなどが和気あいあいと住んでいたが、今は殆ど廃屋だ。
昔は至る所、このようなアパートがあった。今は懐かしい風景になった。

下写真。
ベニヤが重いので、新河岸河畔の公園で休んだ。
回りのベンチはホームレスと失業者ばかりだった。

中央の橋上が埼京線北赤羽駅。
その右手に小さく見えるのが我が住まい。

母が弱ってから、私を追いかける死神の姿がチラチラ見えるようになった。母を亡くした後の喪失感の中で、更に味わうこの気分は嫌だろう。しかし、この新緑の中を歩いていると、嫌なことは忘れ、生きていることが本当に素晴らしく思える。生きていれば、人生には様々な楽しさが用意されているようだ。

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