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2010年5月20日 (木)

高度成長期に一般人が孤独を感じ始めた。その解決方法は家に籠らないことだ。10年5月20日

朝食後、ヘルパーのOさんがシャワー介助に来た。先日、脱衣所に敷いた手作りの台を利用して、二人で車椅子を浴室へ運び込み、母をシャワー椅子に腰かけさせた。浴室に母を入れれば、いつものようにシャワーができる。

問題なくシャワーを終え、拭ききれない身体は寝間着をバスロープ代わりにして水気を取った。総てシミュレーション通りで、次回は更にスムースにできそうだ。

毎朝、水の要らないシャンプーと蒸しタオルで髪を洗っているが、シャワーにはかなわない。
「とても気持ちが良い。」
ベットに戻った母は嬉しそうにOさんに話していた。

SingacYoug上写真、新河岸川上流を見る。
我が住まいは左手の集合住宅13階。

朝から雨が降ったり止んだり。
お昼前、一人で食材を買いに出かけた。

帰宅して声をかけたが、母は死んだように寝ていて目覚めない。
以前なら、玄関を開ける音で気づき「お帰り。」と大きな声をかけていた。

お昼は、無理に母を起こして、車椅子でテーブルまで連れて行った。歩けないことを除いて、以前と同じ生活に戻った効果か、食後、母は兄へ葉書を書き始めた。

しかし、昼食後は再度死んだように寝ている。話しかけてもピクリとも動かず、本当に死ぬのではと思えるほどだ。母が寝ている間に、寝不足の私も1時間程寝た。

気分よく目覚め、雑事を片付けていると、すぐに夕食の時間が来た。

無理に母を起こして、テーブルへ着かせた。
食後、母はすぐにベットに横になった。夜の闇と消えたテレビを嫌がっていたのに、テレビと電灯を消せと言う。最近の母は食事時間以外はほとんど寝ている。闇や無音が気にならなくなったのは、死を受け入れ始めたからかもしれない。

午前中の歩行距離が足りないので、母が寝ている間に散歩へ出た。
中写真、東京北社会保険病院下の公園。夕暮れに母を散歩に連れ出すと、この明かりが綺麗だと喜んでいた。それはつい先月のことだ。今は遠い昔のことに思われ喪失感にとらわれる。それでも、外へ出ると気分が晴れる。前向きに生きるには外出と散歩が重要なようだ。

話しは飛ぶが、失業や欝症をきっかけに妻に捨てられる男が激増している。
「・・・健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くす・・・」
結婚の誓いに反して、弱った夫が捨てられている。殊に、年収300万台以下の男は捨てられ、600万以上では捨てられる確率が少ないと言う。
対して、弱った妻が捨てられるケースは皆無だ。だから男の方が女より優しいと言っているのではない。子育てがある母親は現実的な選択をすると言うことだ。

夫婦は助け合うもの、と考えるのは昔でからではない。戦後の高度成長期に生まれた核家族が、そのような考えを生んだ。
それ以前は、夫婦家族単位ではなく、地縁血縁で助け合っていたので、貧乏でも独りになっても生きやすかった。例えば、独り者が病で伏せていたりすると、隣近所が助けてくれた。介護でも、隣近所が手助けしてくれた。もっとも、後者については、60歳前後で一生を終えていたので、今程深刻ではなかったが。

今は子供から老人まで、普通に「孤独」を口にする。その言葉が一般社会に登場したのも高度成長期に一致する。最近の統計に、一人暮らしの老人が誰とも言葉を交わさない日が平均三日以上ある、とある。これでは寂し過ぎる。隣近所が押しかけてこない以上、孤独な老人は家の外へ出て行く他ない。外へ出れば、必ず会話のチャンスがある。

Haha2下写真。
昨日の東京北社会保険病院屋上庭園。
眼科の定期診察日。
母は待合室で幾人もの昔なじみと会って元気になり、壊れ始めていた頭が元に戻った。このまともな表情を見ると、人と会話する大切さを痛感する。

今、昔の地縁血縁を再現するのは不可能だが、欧米の救済団体のようなボランティアシステムなら可能だ。人は誰かと会話していれば絶望も自殺もしない。会話は生きているのと同じくらい大切なことだ。

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