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2010年5月23日 (日)

相変わらずの普天間に口蹄疫と、晴れ晴れとしたニュースが少ない。10年5月22日

最近、腹の底から笑っていない。冗談を言ってちょっと笑っても、笑顔はすぐに消えてしまう。

まだ、5月1日の私の胆嚢除去手術を引きずっている。私の入院で世話ができない母を同じ病院に預けたが、それをきっかけに母のQOLは激変してしまった。歩けなくなっただけでなく、明るくハキハキしていた声はかすれて不明瞭に、表情からも笑顔ほとんど消えた。

今日は午前中、散歩へ連れ出した。外を動いている間は、以前の明るさを取り戻すのでホッとする。しかし、帰ると好きなテレビも見ずに、死んだように眠り続ける。高齢なので、いずれそうなると覚悟していたが、1年は早まった気がする。

「老いたら反省も後悔もするな。」
これは自分で作った格言だ。人生経験を重ねると、間違った行動はしなくなる。それでも、間違った事をしたとすれば、残された短い余生を後悔でつまらなくしないために、さっぱりと諦めるのが良い。
しかし、自分の格言でも実行は難しい。ああすれば、こうすれば良かった、と今日も間歇泉のように後悔が噴出する。

こんな時、晴れ晴れとしたニュースがあれば気が晴れる。しかし、毎日流れるのは口蹄疫と普天間米軍基地のニュースばかり。
結局、他府県と米国の基地移設拒否で旧案に押し戻されてしまったが、始めの鳩山発言は正論だった。それに対し、野党や評論家たちがよってたかって糾弾しているのは卑怯だ。彼らは口先で綺麗ごとを言っているが、「やっかいな米軍基地は沖縄に押し付ければ良い。」が本音だろう。

辛いのは口蹄疫のニュースだ。気のよさそうな和牛たちが、牛舎で何も知らず、のんびり処分を待っている姿は哀れでならない。

東国原知事や野党の発言も、飼育農家の苦しみを政争の具にしているようで腹立たしい。今回の感染拡大の原因は宮崎県の初動の遅れと政府の稚拙な対応にある。
当事者本人の弁だが、発生当時、口蹄疫が発症した飼育農家が感染拡大を防ぐため、自分の敷地周辺を実名公表して通行禁止にして欲しい、と県に申し入れたが拒否された。個人名公表は個人情報保護法に抵触するからと、いかにも小役人的でバカバカしい理由だった。そこにも、当初の県側の危機感のなさが露呈している。

先日、東国原知事は記者の質問に「夜も寝ないで一生懸命やっているんですよ。」と苛立ちながら憤然と席を立った。これは芸人出身の彼が言ってはならない台詞だ。夜も寝ないで稽古しても、客席に受けなかったら総てダメが芸人の世界だ。夜も寝ないで頑張るくらい、私でもやっている。自ら望んでやっている知事職だ。男なら泣き言は言わず、死ぬ気でやってほしい。

慎重に隔離したスーパー種牛まで感染を広げているのだから、今の対策に穴があったのは間違いない。原因が政府なのか県なのか、これから検証されるだろう。政治は結果が総てで、情で失策を拡大させるのは許されない。緊急時にヘラヘラ顔の赤松農相も大臣不適格だ。

10年前に宮崎に口蹄疫が発生した時は県担当者の迅速な対応で短期間に拡大阻止ができた。その時、宮崎県は独自に対策マニュアルを作ったが、今回、それを生かさなかった。県側は初動の遅れすら政府に責任転嫁しようとしているが、失敗は認めるべきだ。

その頃英国でも口蹄疫が発生し、2兆円の大被害を被った。その後、英国ではテロ対策なみの法律が整備された。英国の大被害に対して、当時の自民党政権に危機感はなく、有効なマニュアル作りも法整備もなされることなく、今回の初動の遅れを招き蔓延を許してしまったいた。疫病を押さえ込めるか否かは初動にかかっている。遅れれば拡散し、夜も寝ないで頑張っても阻止は難しい。


Ho1Ho2_2上写真、我が家玄関前。

下写真、新河岸川対岸の都営住宅。

この都会的な風景はいい。
この世界の中に、独りになった自分を新たに構築しようと思っている。

そう遠くない日に、母が逝くのはしかたがない。だからせめて、「静かに連れて行ってくれ。」と、毎日仏壇の父や祖母に頼んでいる。

胆嚢除去手術後、右上腹部に鈍痛が走っていたが、かまわず動き回っていたら、いつの間にか消えた。術後は身体を動かす方が予後は良い。動き回るのが内蔵の癒着防止に役立っているのかもしれない。

昨日、夕食で多めに食べてみたら上腹部に鈍痛が起きた。手術前の痛みによく似ていて、一瞬、嫌な気がした。しかし、静かに休んでいたら寝る頃には痛みは消えた。もう若くはないことだし、これを機会に食べ過ぎは止めよう。

術後、嫌だったのは入れっぱなしの採尿管だった。2日目に抜かれた時と始めの排尿時は、焼け火ばしでかき回されるような激痛だった。もし、尿が出ない場合は、再度、採尿管を入れると看護婦に脅されていたので、血液で赤く染まった尿を耐えながら絞り出した。
痛みは2日ほどで消えた。その後、尿道が広がり排尿の太さが太くなったような気がする。それは良かったことの一つだ。

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