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2010年5月 8日 (土)

母のボケと体力低下阻止の為、前倒しに退院。10年5月8日

4月30日前夜から5月1日朝まで続いた上腹部鈍痛は胆石起因の急性胆嚢炎だった。腹腔鏡手術後、8日土曜午前10時、前倒しに退院した。本日は姉に泊まってもらって、共同で母の世話をした。やることが山積し、先程ようやく解放されてこれを書いている。


5月1日土曜
今日は大型連休前の最期の受診チャンスだ。
前日夕刻、上腹部鈍痛が治まらないので近所の内科を受診したが、設備不十分で病名を特定できなかった。
さらに鈍痛で一睡もできないまま家を早朝に出て、東京北社会保険病院の内科に受診を申し込んだ。母は姉に早めに来てもらって世話を頼んである。

思った程の混雑はなく、40分待ちで受診できた。
前日の近所の内科と同じように、腹部レントゲンを撮ったが何も分からない。しかし、大病院の利点は血液検査の結果がすぐに出ることだ。結果は白血球数14000で腹部の炎症が推測された。

直ぐにヨード剤の点滴をしながら血管造影CTを受けた。
画像は内科診察室へリアルタイムで送信される。CTの後、内科診察室に呼ばれて行くと、内科医と共に若い外科医が待っていた。病名は急性胆嚢炎で、原因と思われる胆石は小さなのが2個だけ。
今日中に腹腔鏡手術で胆嚢を切除するか、入院して内科治療をするか、どちらかを選べと言う。医師は内科治療で落ち着かせても、体力が弱れば再発することが多いと言っていた。
悩んでいる時間はなかった。大型連休に入る今ではセカンド・オピニオンを求めることも難しい。腹腔鏡術例は多い病院だ。手術を熱心に薦めるのは腕に自信があるのだろう。内科医が手を引いたのも手術がベストと判断したからだ。

手術は悩まずに承諾した。内心、腹腔鏡手術に好奇心があった。同席した外科医の助手が若い女医さんで、とても可愛かったことも悩みを小さくしていた。承諾した最大の理由は、母を看取るまでハードな生活が続く、との思いがあったからだ。
問題は母だ。今直ぐに介護施設を探して預けることは大変難しい。結局、母も同時に入院させることで承諾した。

直ぐに、自宅に帰り、身の回りの品をまとめ、母の車椅子を押して共に入院した。

病室に着くと直ぐに手術用のガウンに着替えさせられ、腹腔鏡の穴を開けるヘソの掃除と消毒。それからベットごと、アッと言う間に手術室に運ばれた。
「手術室へ着くまでに車酔いする人がいますので、気分が悪くなったらすぐにお知らせください。」
押している看護婦が、明るく話しかけた。

手術室で、麻酔医が丁寧に麻酔が効くまでを説明した。
手術台へは自分で乗り移った。執刀医助手の女医さんがモニターなどの説明をしてくれた。
「・・・ごめんなさい。麻酔がかかっていますのでモニターは見えませんね。」
女医さんは説明の後、くすりと可愛く笑った。

それから酸素マスクがかけられ、気がついた時は手術は終わっていた。
全身麻酔は生まれて始めての経験だった。執刀医に切り取った胆嚢が見たいと言うと、すでに病理へ送られていた。65歳の年齢から胆嚢ガンの疑いもかけられていたようだが、それはなく安堵した。

胆嚢の癒着はなく、原因の胆石は小さなのが2個だけだった。それでも胆嚢炎を起こしたは過労の所為だろう。この数ヶ月、いくら休んでも気怠さが抜けなかった。それは胆嚢の炎症が原因だったのかもしれない。

鎮痛剤は飲まない主義だ。
それから、24時間、ベットで術後痛と絶食の苦しみを味わうことになった。

--続く。

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