昨夜は母に1度しか起こされず、久しぶりに朝まで眠れた。10年5月14日
朝、ヘルパーのOさんが来たので、母の清拭をしてもらった。今週はほぼ毎日来てもらっているが、来週から週3日に減らす。
明日、室内用の車椅子が届く。これがあれば母を玄関まで連れ出せ、外出用車椅子に乗り換えさせて以前のように散歩へ連れ出せる。
清拭の後、母は疲れて死んだように眠っていた。
1時間ほどして、目覚めた母が私を呼んだ。
「今日は死にそう。今までありがとう。」
母は私に手を合わせた。
「今日の何時ころに死ぬの。」と聞くと、母はしばらく考えたあと話題をそらした。
「本当にみんなに世話になって、わたしは幸せだった。」
何となく芝居じみた台詞だ。実際は、人は死ぬ間際にそんな台詞は言わない。言葉が少なくなって、反応がなくなり、眠るように逝ってしまう。最期の言葉は、死んだ後に振り返って、あれがそうだったのかと気づくものだ。祖母も父も姉も、先に逝った多くの知人たちがそうだった。
最期の言葉に共通するのは感謝の気持ちだ。私が立ち会った人たちは、生きていたことへの感謝を残して死んで行った。その意味では母の台詞は間違っていない。
30分ほどして、母の様子を見に行った。
「本当に、今日死にそうなの。」
聞くと母は考え込んだ。
「今日死ぬ、と言って死ぬ人は滅多にいないよ。」
と言うと、「そうね、死ぬまで、あと2,3日かかるかもしれない。」と、母は照れ笑いした。
昨夜、母は一度しか起こさなかった。
深夜3時、母が死んだ兄の名を呼んでいる声で目覚めた。私が目覚めないので、死んだ兄の名まで呼んでいたようだ。急いでベットへ行くと「オシッコがしたい。」と母は上半身を起こしていた。
「起こしてオシッコをさせるけど、夜はなるべくオムツにしてね。」と頼むと、「ああ、そうだった。」と母は明るく謝った。その後、母は朝まで静かにしていて、久しぶりに5時間は眠った。
前日は朝まで8回起こされ、睡眠不足でフラフラだった。退院以来、ほとんど眠れせてもらえない夜が続き、体力は限界だった。毎晩、起こされる度に厳しく文句を言っていたがまったく効果はない。それでやけくそになり、「今夜から、好きなだけ起こしていいよ。」と母に言った。
意外なことに、そう言ったことで却って母は私を起こさなくなった。
「夜中は起こすな。」と厳命されることで母の不安が増幅し、かえって頻繁に私を起こしていたのかもしれない。この効果が続くことを願っているが、再度、起こすようになっても、それはそれとして気楽に受け入れることにした。
5月半ばなのに冷涼な日が続く。昨日の午後、買い物へ出かけようと外へ出ると、雲間から後光が射していた。
風は冷たく、ワイシャツ一枚で出たことを後悔した。身体が温まるように小走りで薬屋へ行って、清拭用の使い捨て濡れタオルをまとめ買いした。入院以来、母の舌苔が酷いので、舌ブラシも買った。
退院以来、家のご飯は美味しいと、ほぼ完食してくれる。
おかげでやや頬がふっくらして来た。
今日来たヘルパーのOさんも、母は見違えるように元気になったと話していた。
母は体力がほんの少し戻って来たのに、私は低下しつつある。
無理はせずに、今夜は早寝をしようと思っている。
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