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2010年6月16日 (水)

6月の晴れ間は生命に満ちあふれ、悩みを麻痺させてくれる。10年6月16日

去年の今頃は、毎日、赤羽自然観察公園へ行っていた。公園はまだ樹木の剪定前で、かろうじて自然公園の雰囲気を残していた。

その頃、私たちをいつも待っている老スズメがいた。スズメの寿命は1,2年ほどなので、2歳には達していないだろう。餌を撒くと、老スズメは嬉しそうに近づいて来た。それが可愛いと母はとても喜んでいた。

夏の間、老スズメは毎日姿を見せていたが、秋口には姿を見せなくなった。多分、命が尽きたのだろう。それを最後に、私たちに近づいて来るスズメはいなくなった。その後すぐに、自然公園の樹木は徹底的に剪定され、自然の趣がなくなった。それで私たちは行くのを止め、それをきっかけに母の体力は低下し始めた。

風景の喪失。親しい人の喪失。体力の喪失。どの喪失もつらいが、それは生きて行く上で必要なものだ。やがて失われるものは心に染み入る。老いると分かっているから、人は思いやりを持ち優しくなれる。もし喪失感のない人生があるとしたら、それは傲慢で乾き切ったものだ。

先日、母のガーゼの寝間着を買った。市販品は帯と寝間着は別になっている。母の寝間着は、帯を衿先に縫い付け、八つ口下に穴を開け、そこに帯を透して前脇で結ぶように改造する。母の体型を採寸し、新しい寝間着に合わせて縫い付けるのは面倒な作業だった。

古い寝間着は生地が傷んでいて、母はあちこち繕っていた。そのような粗末な品ほど母の思いがこもっていて、遺品になってからは捨てがたくなる。だから今、母が健在の内に捨てることにした。
昔、祖母が死んだ時、遺品を整理していると明治時代の古い着物が出できた。あちこち傷んでいたが、祖母は捨てられなかったようだ。他人には惜しげもなく金を使っていたのに、祖母は自分自身には無頓着だった。
「こんなに傷んでいる粗末なものを東京まで持って来て・・・。」
母は寂しそうに古い着物を撫でていた。

母の体調は一歩進んで二歩下がるように、日に日に弱っている。最近はゲップがひどく、食欲がない。ためしにガスコンを飲ませると、すっきりしたと喜んでいた。
ガスコンは胃腸の空気の固まりを細分化してスムースに流れさせる。副作用は殆どなく、使いやすい薬だ。しかし、医師の診察を受けたが良いので、川向こうの生協浮間診療所へ連れて行った。


HiruWatasiHahaKumo写真上。住まい下のヒルガオ。
私はこの荒れ果てた感じが大好きだ。
しかし、農耕民族は雑草を嫌悪する。
赤羽自然観察公園の自然を乱雑だと、刈り取っていた人たちも農耕民族だったのだろう。

今日の診療所は医師一人なので混んでいた。
待っている間、置いてあったアエラを読んだ。これから生き残る企業と生き残れない企業を特集していた。仕事に関係ある出版界は、電子書籍の登場で大リストラが始まり、中小出版は全滅しそうだ。

去年末、長年親しくしていたパロル舍編集の川畑氏が突然辞職した。真相は分からないが、遠因に出版不況があるのだろう。

50近くなっての再就職は厳しい。弱小企業では退職金も企業年金もなく、妻子を養う彼の身を思うと胸が詰まった。彼は柔道の全国大会に出場したほどの偉丈夫だが、電話をすると再就職活動に疲れていた。

マスコミ界は大変動のさ中にある。放送界で安泰なのはNHKだけだ。新聞で何とか生き残るのは朝日と読売。出版界で現状をかろうじて保てるのは講談社の他数社。それでも大リストラは必須だ。他は形態を激変させるか、縮小させるか、他に生き残る道はない。

以前の印刷界は出版、新聞、広告に頼っていたが、今はその比重は小さい。大手の多くはIT関連の先端技術に主力を移し、主役だった大型輪転機は昔の風景になった。

20年前のマスコミ界の勢いを思うと夢のようだ。曙橋にフジテレビがあった頃、劇団七曜日公演のポスターの打ち合わせに、渡辺正行氏に会うため何度も通った。彼は「ひょうきん族」に出演していたので、ついでに収録を見学した。出演していたサンマ、タケシ、紳助等各氏は今はお笑い界を代表するほどにビックになった。あのフジテレビの活況は皮肉にも、お台場の豪華な社屋に移転してすぐが最高で、以後低下して行った。

診療所の待ち時間は長く、母が疲れて来たので、診察はあきらめた。お昼前なので、生協へ買い物へ行くことにした。

その途中、東京北社会保険病院下の公園で母を歩かせた。昨日は1メートルも歩けなかったが、今日は2メートル歩いた。明日はもっと長くと思いたいが、実際は一歩も歩けなかったりする。高齢者の状態に一喜一憂は禁物だ。

写真中。桐ヶ丘生協近くで一休み。
家を出た時は雨が落ちていたのに、青空が広がって暑い。こんなことなら、パナマ帽にしたかった。
このハットはニューヨーク製。綿のキャンバス地で大変堅牢にできている。たっぷり防水剤を染み込ませてあるので、大雨にも耐える。

写真下。桐ヶ丘生協にて。
最近の母は筋力がなくなった。車椅子に長く乗っていると身体がずれてのけぞる。それで、上から写真を撮ると、顔のシワが伸びて撮れた。初夏の美しい緑と、強い陽光のせいか、母の表情は明るい。それだから、毎日の散歩は止められない。

夕暮れ前、激しい驟雨が来て、すぐに去って行った。
その後に美しい夕空が広がった。暑いのは疲れるが、母も私も生命感に満ちた今の季節が好きだ。


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