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2010年6月 7日 (月)

65歳からのサバイバル。10年6月7日

5月1日の胆嚢の腹腔鏡手術以後、何かにつけて老いを思い知らされている。手術前は御諏訪神社の急坂を一気に母の車椅子を押し上げていたのに、今は途中で息切れがする。何を食べても難なくこなし、胃袋を意識することはなかったのに、少し食べ過ぎただけで胃が重い。睡眠3,4時間が続いても何とか耐えていたのに、今は一日中疲労感が抜けず気分がイライラする。

それらは老いの症状で、65歳なら当たり前だ。しかし、今も若い頃の感覚が抜けず、無理をして若い頃との落差に愕然としてしまう。
老人番組にとても元気な老人が出てくる。羨ましいが、それは同じ歳同士を比較して元気なだけだ。いくら元気でも若者と比べたら明らかに体力もなく動きも悪い。そのような老いの現実を認めないと、老後は寂しくなってしまう。

財産も家族もない私は、死ぬまで自力で生き抜かねばならない。それは65歳からのサバイバルだ。若者のサバイバルは、体を鍛え、生き残りに必要な知識を身につける。対して私は今までに蓄積した知恵や能力を生かす他ない。例えば、サバイバルに絵を描く能力を生かす。しかし、絵を描くには体力が必要で、ついつい無理をしてしまう。無理は一歩間違えると、5月1日の手術のように、身体を危うくしてしまう。

このところ爽やかな夏日が続いている。昨日の午後、買い忘れた食材を買いに出てエレベーターに乗ると、換気扇の涼しい風が心地良かった。エレベーター前面のガラス窓から明るい外光が射し込み、その光に包まれていると40年前の旅行の一場面がふいに蘇った。

20代半ばの私は、5月の連休明け、浅間、八ヶ岳と旅した。その移動中、列車は中軽井沢駅に10分ほど停車した。客車の乗客は数名だけで、とても静かだった。外は素晴らしい好天で、開け放った窓から吹き込む風が心地良かった。

もっと高揚感に満ちた時間は無数にあったのに、なぜか、その10分ほどが人生の中で一番幸せな時間だった。生活の不安はなく、若くて元気一杯で、高原の風がとても爽やかだったからなのか、いくら考えても分からない。それは、惚れた女性との初デートより、公募展の受賞の電話より、一番幸せな時間だった。

エレーベータが1階に着くまでの短い時間、その幸せを思い出していた。眩しい日射しの中、新河岸川向こうのライフへ歩きながら、65歳からのサバイバルに必要なのは、その一瞬の幸せな気持ちかもしれない、と思った。
幸せな時間が1日に数分でもあれば、人は生きられる。健康と財産を足したより、大きな力を与えてくれる。その逆に、幸せと思える時間がないとしたら、健康も財産も色褪せてしまう。


Doku_3Haha上写真、桐ヶ丘団地のドクダミ。

近年、桐ヶ丘団地にドクダミが増えた。
この匂いを嫌う人が多いが、私はこの清楚な花が好きだ。
匂いも悪臭とは思っていない。

60年前、私が通っていた大堂津の幼稚園はお寺の本堂を兼ねていた。
そのお寺へ登る石段脇にドクダミが沢山生えていた。

写真のドクダミを摘んで匂いを嗅ぐと、幼稚園生のころの情景がフラッシュバックした。

下写真、桐ヶ丘団地の母。

最近、母は日替わりで体調が変わる。
昨日の母は良かったが、今日は足元がふらついて、何度もヒヤリとした。
母は痩せたが、今も体重は55キロほどある。その体重を支えるには腕力が必要だ。私の手術後、弱った筋力回復に鉄アレイを持ち上げている。年寄りの冷や水でも、鍛えないと介護は無理になる

母の筋力が弱ったのはベットに寝ている時間が長いからだ。
それで今日は、日中は椅子に座らせておいた。
しかし、座ってばかりいると、血流が悪くなって辱瘡の原因になる。その防止に30分毎に母を立たせてマッサージをした。面倒だが、それが介護を楽にする。

母の寝間着を夏用に替えなければならない。夏用は使い古して、肩辺りの生地が薄くなっている。「明日あたり、イトーヨーカ堂で新調しよう。」と言うと、無駄になるから必要ないと母は言った。
母に来年が来ないとしても、買おうと思った。
最近、母をあの世に送りとどける船頭の気分だ。
何とか、静かに送りとどけたい。

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