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2010年8月13日 (金)

滅入った気分から、楽しい思い出が救ってくれた。10年8月13日

昨日は、生協浮間診療所から大石先生と看護婦さんが弔問に来た。大石先生は可愛い若い女性だ。二人から貰った花束を飾ると仏壇が華やかになった。母がいつも寝ていた辺りから、「まーきれい。」と声が聞こえたような気がした。

1時間ほど今の心境や仕事の話しをした。母の最期をよく知っている人たちなので聞いてもらうだけで癒された。
「自分一人で看取って、母に苦痛を与えたのではと悩んでいます。」
帰り際、大石先生に言うと、「そんなことはありません。とても立派に看取られたと思っています。」と慰められた。
もし、母が生きていたら、「一人で頑張って世話してくれて、ありがとう。」と言ってくれただろう。しかし今、その言葉を絶対に聞けないのがとても寂しい。

先日、旧知の方からお悔やみの手紙をもらった。彼女は長年父親を介護し5年前に亡くしたが、まだ喪失感は埋まらないようだ。しかし、最近父親が夢に出て来てくれたと嬉しそうに文面にあった。私の夢に母が出てきてくれるのは、いつだろうか。

母が死ぬまで、死別家族の辛さを本当に理解していなかった。今は、日航機遭難現場の御巣鷹山の慰霊祭を見ても、遺族たちの長い癒されない哀しみを痛いほどに感じる。先日の米国旅行での交通事故死。今日のアブダビでの交通事故死。それらの報道を聞く都度、死別家族の哀しみを感じる。統計では、常時200万の人が死別を哀しんでいるが、それらが表面化することは少ない。

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星美学園近くから赤羽台を撮った。

絵描き仲間の清水慰氏の訃報を聞いた。末期の肝臓ガンで初夏のあたりから鎌倉の病院で危篤状態と聞いていたが、いよいよ旅立たれたと聞くと寂しい。
彼女は私が母の介護をしていたことをいつも気にかけていてくれた。関係者によると残されたご主人は気の毒なくらい落ち込んでいたと言う。私より年上で、これから家族の暖かさを取り戻せる可能性は少ない。
4月末の宮トオル氏の突然死といい、身辺が急に寂しくなった。これからは年々、知人の訃報を聞くことになりそうだ。

買い物の帰り道、久しぶりにラブラドリーのルイちゃんに会った。庭の柵の間から顔を出して、手をペロペロなめた。「おばあちゃんは死んだよ。」と言うと、彼は寂しそうな目をした。母の体調が悪いと、心配そうに見つめる利口な犬だったので、母の死を理解しているのかもしれない。

Kusagiクサギの花が咲いた。葉や茎に異臭がするので気の毒な名がつけられているが、花の香りは甘く優しい。

傍らのテレビで富士登山をやっている。私は10数回登山した。当時と比べると登山客は10倍はいる。登山道も順番待ちをする程の混雑だ。登山服も随分華やかになった。昔は、汚れても良いジャンパーなどをはおって出かけた。登山専用の衣服はベテランが身につけているだけだった。

当時は、新宿から夜行で出て、富士吉田駅で下車。直ぐに登山バスに乗り換え五合目に深夜着いた。五合目で高度順応のため1時間程休み、それから4時間ほどで頂上に着いた。ご来光を待つ1時間ほどは凍えるほど寒かった。ご来光の後、山小屋で高くて不味くてぬるいうどんを食べたのが懐かしい。下山は須走を1時間ほどで駆け下りた。

思い返しても、それらの記憶はみずみずしい自然と光に満ちあふれていた。元気で夢があって、青年らしい悩みを抱えていても吹けば飛ぶくらいに軽かった。今、若い頃を思い返すと、不思議に元気が蘇る。若い頃と同じ道を辿ってみようと思っただけで楽しくなる。青年は貧しくても一生懸命行動すれば、楽しい思い出が残る。


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