ようやく、止まっていた時間が動き始めた。10年8月22日
母の介護生活の8年間、止まっていた時間が動きはじめた。回復期の曙光が見え始めたのかもしれない。6時に流れる「夕焼け小焼け」から母が死んだ6時半までの悲しさは相変わらずだが、ズルズルと引きずることはなくなった。
8月半ばまで、医師の薦めに従わず母を病院に入れなかったのは誤りでは、と悩んでいた。
今は、在宅で母を逝かせたことは正しかったと思っている。それは、母と死別して独りの辛さを味わったからかもしれない。
喧嘩相手でも傍に誰かいて欲しいと願うのが独りの辛さだ。もし、母を入院させていたらどうだっただろうか。私は毎日病院を訪ねるが、終日母と過ごすことはできない。慣れない病室での長い孤独が辛くて、母は必ず家に帰りたいと訴えたはずだ。しかし、一旦治療が始まれば死ぬまで帰宅はできなかった。
不十分な介護でも在宅の母は最期まで孤独ではなかった。私は昼夜いつでも異常を感じれば母の傍らに駆けつけていた。母の死期は早まったが、補って余りある安心感があったはずだ。
朝から祭り囃子が聞こえた。去年の御諏訪神社の夏祭りは母の誕生日の24日だった。日記を読み返すと、子供の頃の夏祭りの思い出を母と話しながら車椅子を押していた。年々、月日が過ぎるのが早くなって行く。今をしっかりと生きないと、後悔しながら死を待つことになってしまう。
お昼から買い物へ出た。
御諏訪神社手前の本屋さん裏口のガラスドアの内側で、スコテッシュフォールドのトラちゃんが昼寝していた。
本屋さんには以前、一番強いペルシャのブーちゃん、二番目のスコテッシュの銀ちゃんといて、トラちゃんはいつもビクビク暮らしていた。それが、二匹とも旅立ってしまい、今は写真のようにのんびり暮らしている。
御諏訪神社境内には出店が2軒出ていたが、暑くて参拝者は少ない。神楽殿でのカラオケ大会も涼しくなる夜までは開店休業だ。
お詣りを済ませて、東京北社会保険病院下の公園を抜けた。
6月半ばまで、中央の手摺で母を伝い歩きさせていた。心臓が弱って肺が浮腫み、酸素飽和度が極度に低かったのに、母は頑張って歩いてくれた。
体の状態が分かっていたら歩かせなかったのに可哀想なことをさせてしまった。ここを通る都度、「分かってあげなくて、ごめんね。」と、心の中で謝っている。
桜並木のなんでも屋を通り過ぎると、主人が追いかけるように「暑いですね。」と挨拶した。
主人の87歳の母親と私たちは、隣の公園で会うと言葉を交わしていた。
「お母さんはお元気ですか。」立ち止まって聞くと「まあ、なんとか。」と主人は笑っていた。
彼は個展にも来てくれた。知的で繊細な人で気が合う。少し迷ったが、引っ返して、母が7月1日に死んだと伝えた。
「最近、お見かけしないと思っていましたが、それは、とても寂しいですね。」
主人に言われると、思わず涙がこぼれそうになった。
「じゃあ・・」
私は短く答えて、急いでその場を去った。
人に会わないように逃げていても前へ進めない。道々、赤羽在の知人たちに母の訃報を手紙で伝えようと思った。
買い物から帰ると、ベランダから神輿のかけ声が聞こえた。下の環八を見ると、炎天下を神輿が賑やかに進んでいる。念のためか後ろから救急車がゆっくりついて来ていた。
午後は買って来た本棚を仕事部屋に置き、雑然と並んでいた道具を整理した。今は少しずつ仕事に打ち込める体制作りに励んでいる。
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