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2010年8月29日 (日)

浅草カーニバルの日、観音様で3連続凶を引いた。10年8月28日

浅浅草の観音様へお詣りに行った。
上野で乗車した地下鉄銀座線は混んでいた。終点の浅草駅から地上への階段は更に大混雑で、なかなか進まない。知らなかったが、地上では浅草カーニバルの真っ最中だった。炎天下のサンバの大音量が凄まじく、まるでリオの一角にいる心地だった。

30メートル程先の雷門まで、人混みで到達できない。仕方なく、遠回りして裏道から仲店へ出た。仲店通りも混雑していた。以前より国際化していて、雑踏から聞こえるのは外国語ばかりだった。

本殿で母の冥福を祈った。その後、おみくじを引いた。母にガンが見つかった8年前に3連続で凶を引いている。今度こそ良い神託をと期待したが、またもや凶だ。どこまで続くか場所を替えて更に2度引いたが凶。3連続ではかなり気落ちする。猛暑と相まって頭がクラクラした。

おみくじには、身を慎まないと不幸を招くとあった。読み返しながら「なるほど。」と納得した。母と死別し、介護生活の無理がたたって身体はガタガタだ。しかも、どんな異変が起きてもおかしくない65歳。仕事はあるが将来に渡って保証されてはいない。大吉が出て浮かれるより、凶が出て心身を引き締める方が理にかなっている。

吉凶抱え、年月に従って凶が増えるのが老いの自然な姿だ。母と死別して以来、それを繰り返し考え続けている。今回、おみくじを8年前より気にしなくなったのは、私が老いたからのようだ。
帰りの電車で、胃ガン検診の申込書が届いていたことを思い出した。提出期限は8月31日必着。凶は検診を受けよとの神託かもしれない。早速、提出しようと思った。

胃ガン検診の結果は白の確率が多いだろう。それでも、これからは母のように病院と仲良くすべきだ。元気でコロリ死ぬのはかなり難しいと医師は言っている。元気な人ほど内蔵が丈夫で、重病で倒れてもすぐに死なず、長期間、寝たっきりの苦痛を味わうことになる。それより、弱った器官を次々と繕いながら長生きすれば、やがて限界に達してコロリと死ぬ。まさしく母がそれで、ポンコツ自動車をだましだまし走らせて97歳に達した。そして最期に1日ほど苦しんで、あっさり旅立って逝った。

Kani_2Sky寄り道はせずにまっすぐ帰った。
仲店の人混みで、カーニバル帰りの本場の踊り子さんを見つけた。
全体を撮ったつもりだったが、おっぱい中心に上下が切れていた。

境内からスカイツリーが見えた。この距離で見上げると、いたく感動する。

先日、多くの最期に立ち会った看護婦の手記を読んだ。
それによると死は一つとして同じものはない。中には死を受け入れられず、すがって助けを求める病人もいる。
公開された東京拘置所刑場を各紙で取り上げていたが、死にたくないと暴れる死刑囚を引きずって行きロープをかけることもあるようだ。
最期まで自分の死を受け入れられないのは、人生最大の不幸かもしれない。

最近、死刑より恩赦のない終身刑の方が凶悪犯には有効だと思い始めた。それはチリの鉱山での落盤事故以来だ。地下700メートルの高温多湿の狭い空間に4ヶ月間閉じ込められている恐怖は堪え難い。しかし、閉じ込められた33人は世界中の支援があり必ず助け出される希望がある。対して、独房で孤独に死ぬまで閉じ込められる苦痛は相当に大きいはずだ。

身内に母の動画を送って欲しいと頼まれた。
夕食後、古いのデジカメで撮った荒い35秒の動画を繋いで10分の動画を作った。これを池袋の業者に持ち込み、家庭用DVDプレイヤーでも再生できるように変換してダビングする。

編集しながら、2003〜07年頃の元気で明るい母を懐かしく眺めた。90歳過ぎているのに本当に楽しそうだ。しかし、弱り始めたその後の映像は悲しくなる。声と母の表情から老いの厳しさがひしひしと伝わって来る。時間は虚しい。どんなに元気でも、必ず老いて死を迎える。その現実をしっかりと受け止めないと、老後の幸せは得られないのかもしれない。おみくじの凶は、思いがけず私の老いを考え直すきっかけになった。

Yusora

今日も猛暑だった。夕日は積乱雲の背後に落ちた。まだ10日以上は猛暑が続く。今思うと、母がそれを知らずに逝ってくれて良かった。


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