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2010年8月20日 (金)

東京湾、シンフォニー・クルーズへ行った。10年8月20日

忌が明けたので御諏訪神社にお詣りした。
境内から階段を下りると、いつも下で待たせていた母の車椅子を幻のように感じた。
「ちょっと、帰って来たの」
車椅子の母が笑顔で振り返ったような気がした。
十万億土の遠い黄泉の国から、母の魂は瞬時にやって来たのだろう。

母との死別と喪失感。そして、やがて迎える自分の死。
それらを複雑なパズルを解くようにいつも考えている。しかし、それらの仕組みは思ったより単純かもしれない。

家族に囲まれての和やかな死。落盤事故で地中に閉じ込まれての苦しい死。安アパートでの孤独な死。それらの見た目はまったく違うが、どの死も開放感溢れる同じようなものだ。

夕刻、生前母が世話になった二人を東京湾クルーズ・シンフォニーに招待した。
午後6時10分、ユリカモメで日の出駅で下車した。連立する倉庫前の広場を抜けシンフォニーの待合所へ・・・乗船切符はコース料理付きを薦められたが断った。乗船してから、バーで飲み物と食事を頼む方が時間が自由に使える。それで、乗船券だけを買った。


HinodeFuneSin3_2Sin2Kirin_2時間があるので、隣の遊覧船の船着き場へ行き、3人でソフトクリームを食べた。海風が心地良かった。

二人は母の晩年を共有できる数少ない人たちだ。多くを語らなくても死別の哀しみを理解してくれた。

私たちが乗船するのはシンフォニー・モデルナ。
総トン数2618トン、全長83.2メートル。その4階が私たちの乗船券で使える最安のラウンジで、バーカウンターがある。

乗船して間もなく銅鑼が鳴って出航した。
料理とワインを注文して、私たちはデッキに出た。
広いデッキは私たちだけだった。乗客のほとんどはコース料理を頼んでいるので、食事が終わるまではデッキへ出られない。

雨の予報は外れ月が出ていた。華やかなビルの明かりに、レインボーブリッジ。次々と広がる東京湾岸の夜景を私たちは独占できた。
涼しい夜風が心地良い。母の介護で忙殺されていたので、久しぶりに開放感を感じた。
羽田をひっきりなしに発着する飛行機のライトが美しい。殊に飛行機が雲の中を行く時、ライトの放射状の光影が近未来映画の一場面のように見えた。
若洲海浜公園と中央防波堤の間に建設中の橋脚と作りかけの橋桁が夜空に、古代遺跡のように黒々とそびえていた。

広大な夜景に見とれていると、バーラウンジの女の子がデッキへやって来た。
「お食事とお飲み物の用意ができました」
最低の乗船券なのに、とても贅沢な気分になった。

白ワインにシーフード。どちらも美味い。
30分ほどでボトルを空けて食事を終え、再度デッキに出た。

2時間半のクルーズが後半へ入った頃に、コース料理を食べ終えた船客たちがデッキに現われ始めた。
その中に父と美しい娘の二人連れがいた・・・と思ったのは思い違いで、白髪の男性が一生懸命話しかけているのに、娘は頑として敬語を崩さずよそよそしい。
最近の玄人は地味に素人ぽく装う傾向がある。むしろ素人娘の方が派手で玄人ぽい。
多分、娘に見えた人は玄人のようだ。
最上の2万円ディナーコースに招待して、妄想を膨らませていたのに、この仕打ちでは男は当てが外れただろう。

夜景を楽しんでいるうちに、2時間半の船旅はアッと言う間に終わった。
彼女たちが楽しんだことを一番喜んだのは母だろう。
「楽しんでもらえて良かったね」
心の中で母が笑顔で話しかけた。

11時近く、赤羽駅で二人と別れた。誰もいない住まいに帰るのは相変わらず寂しい。
これからは、悲しいときは思い悲しみ、楽しいときは思い切り笑い、メリハリよく生活しようと思った。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

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