母の訃報に様々な反応。10年8月16日
最近、母の訃報を知らせ始めた。多くの人からは丁寧な弔意を頂くが、そうではない方もいる。そのような人には知らせたくないが、しがらみがあってそうはいかない。
「97歳なら大往生だ。郷里では赤飯炊いて祝うくらいだ。」母の歳を聞いてそのように言う方、
「死んだ人のことはさっさと忘れて、前へ進まなきゃ。」と、むやみに励ます方、
悪意はないのだが苦手な人たちだ。
「どうして施設へ入れなかったのか。」
「最期にどうして入院させなかったのか。」
献体したこと、(法要はしたが) 葬儀をしなかったこと、それら総てを気に入らない人も多い。
独り身の私が母を介護したことを遠回しに皮肉る人もいる。
今の世の中では、親孝行な男はマザコンだと誹られる。私が同窓会へ行かなくなったのは、そのように言う者が多かったからだ。
マザコンの意味は、母親の庇護から独立できない大人を言う。だとすると、寝たっきり同然で財産も年金もない母から、私は生活の世話を受けていたことになる。
そのように死別の辛さは喪失感だけではない。万事普通ではないことをすると、気持ちを逆なでされる。もっとも、私は総ては覚悟の上で、蚊に刺されたほどの痛みも感じない。
9ヶ月ぶりに赤羽自然観察公園へ行った。旧知の人に会うと母の死を話さなくてはならない。それで、人が絶える午後1時に出かけた。朝から猛烈な暑さで、環八で信号待ちをしている間、炭火に炙られているように熱かった。
途中、知っている老人に会ったが、母の車椅子がないので気づかれずに済んだ。
公園に入ると、母の思い出で胸が一杯になると思っていたのに、意外に淡々としていた。むしろ、母の最期に毎日通った東京北社会保険病院下の公園の方が思い出深い。
管理棟脇の椎の木陰で休んだ。母が元気な頃、のり巻きなどを持って来て、木陰のテーブルで食べさせると喜んでいた。
少しの間に公園の様子は変わっていた。隣に運動公園が完成して、炎天下、高校生がサッカー試合をしていた。公園北側の民間駐車場はなくなりマンションが建設中だった。完成したら公園の雰囲気はかなり変わりそうだ。
写真中央手摺脇のトウネズミモチを母は「サカキさん。」と呼んで可愛がっていた。始めて連れて行った頃は手摺の高さの幼木だったのに、今は5メートル近い。8月24日の母の誕生日にはこの脇で毎年記念写真を撮っていた。
草刈りはあいかわらずで、草刈り機が入って芝生のように刈り取られていた。以前は刈り取られた辺りに、ホタルブクロやヤマユリが咲いていた。
母がしていたように、トウネズミモチの幹を撫でると、突然哀しみがこみ上げてきた。後はダメで、ため息をつきながら緑道公園を帰った。
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