母と死別してから後顧の憂いがなくなった。10年8月31日
昨夜、舌の先の皮がむけ赤くなっているのに気づいた。痛みはない。下前歯の角が当たっているのが原因かもしれない。放っておくと舌ガンが生じるので、午後3時に上野歯科医院へ行った。予約無しだが、都合良く空きがあり待ち時間なしで処置してもらえた。
母と死別してから後顧の憂いがなくなり、病気を恐れなくなった。私が死んでも、困る者も哀しむ者もいない。今、そのような自由を味わっている。しかし、それは何となく空虚な自由だ。
上野歯科医院は赤羽自然観察公園の近くにある。治療の後、公園の古民家に寄った。親しくしていた係のSさんが母の様子を気にしていると聞いたからだ。しかし、Sさんは休みだったので、用意しておいた母の死亡報告を置いて帰った。その概要は以下のようなものだ。
・・・終末期の母は「ありがとう。」を何度も繰り返していました。それは私だけでなく皆様へ向けた言葉だと思っています。亡くなる10日前まで、母を散歩に連れて行っていました。今、母と休んだ場所に佇むと、草木を揺らす風に母の気配を感じます。母がいない住まいは広く感じます。自分一人のために料理をし、時間を自由に使っています。しかし、総てに戸惑いを感じます。この生活に慣れるには、長い時間がかかりそうです。今、ようやく私の時間が流れ始めました。これからの残された年月は、大切に享受いたしたいと思います。・・・
古民家から裏門へ急いでいると、田圃の係だった松下さんと会った。彼は床屋さんを通じて母の死を知っている。丁重にお悔やみを言われると、胸が詰まって言葉が出ない。死亡報告がもう一通残っていたので、それを渡し、黙って幾度もお辞儀をして辞した。
日が暮れるのが早い。いつの間にか緑道公園を急ぎ足で進んでいた。今は、のんびりしても良いのに、母を介護していた頃のクセが抜けない。
百日紅はまだ盛りのままだ。昔の自作 "風清涼 夏の夢見る百日紅" を思い出した。明日から秋なのに、ドライヤーで吹き付けられるような熱い風だ。この青空を眺めていると、雨は当分降りそうにない。
床屋さんに客がいなかったので入った。刈り上げれば、少しは涼しくなりそうな気がした。
散髪は小1時間で終わり、赤羽駅前へ買い物へ回った。果物、野菜、牛乳などをまとめ買いしたので買い物バックが重い。歩いて帰るのは止め電車に乗った。北赤羽で下車すると日は完全に落ちていた。
写真は新河岸川。少し先の左手に私の住まいがある。
最近、無常観について考えている。人生のはかなさを現すマイナスイメージが強いが、本当はポジティブなものだ。辞書で引くと、一切のものは生滅変化して常住ではないと、実にクールだ。
もし、無常を本当に理解し受け入れられれば、死や病苦を含め、どのような苦難にも耐えられる。生きている喜びも素直に味わうことができる。無常は真っ白な紙のように、どんなものでも描ける自由な世界だ。
先日、東急ハンズに行くと、文具売り場の一角が若い女性達で大混雑していた。好奇心で人をかき分けて行くと、数珠に経文に写経セットを売っていた。昔なら、このような抹香臭いコーナーは老人達の世界だった。死をどのように受け入れ考えるかが、今はトレンドに変わったようだ。
深夜、鏡で舌先を見た。先日の3連続凶のおみくじが頭に残っていた。歯科医院では何でもないと言われたが、もしかすると悪性のものかもしれない、と疑念が沸き上がった。私はかって、アエラの取材を受け特集を組まれた程のガンノイローゼ患者だった。舌先の紅班は、インターネットの画像検索すると舌ガン前駆症の紅板症に似ていた。そうなると昔のクセが出て次々と症例を検索し、自分に当てはまる箇所を拾い読み続けた。
その内、不毛な検索にバカバカしさを感じた。それが以前と違う変化だ。
次の歯科の予約は1週間後。それまでに赤味が取れない時に悩めば良いことで、無駄に悩むことはない。そのようにこだわりが薄れたのは、後顧の憂いがなくなったからだろう。
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