背中が痒く、孫の手を探した。10年9月19日
昨日、久しぶりに星美学園裏を散歩した。母の車椅子を押している頃は、急坂や、歩道のない道は避けていた。だから、数年ぶりの道だ。
左手先に八百比丘尼の終焉の地がある。八百比丘尼とは人魚の肉を食べて800年の命を得た尼さんのことだ。日本各地に伝説があり、赤羽のその地は自然木が茂った小山だ。以前、登ったことがあるが、江戸時代の古い墓石が沢山残っていた。
写真中央は星美学園の給水塔。ミッション系のせいか、なんとなくアメリカの雰囲気がある。
左手の高架は新幹線と埼京線。上り新幹線の頭が見える。
手前は工場か倉庫だったが、いつの間にか建て売り住宅が並んでいた。
今日は、挽きものをしている知人の作品展へ行った。工房は山中温泉近くにあり、北陸の自然の香りを運んで来たような人だ。
場所は神楽坂の近く、お屋敷が立ち並ぶ静かな雰囲気の中にあった。
介護生活が終わり、そのように自由に出かけられるようになった。気温は30度近いが湿度が低く、さほど暑さは感じない。作者と来場していた学生さんたちとのんびり雑談してから、銀座へ回った。
銀座通りは歩行者天国になっていた。回りから聞こえて来るのは中国語ばかりだ。報道では知っていたが、実際に目にすると驚く。尖閣列島問題で本国ではネットが炎上しているが、彼らの様子も周囲の日本人もまったく気にしている様子はない。この姿が日中関係の本当の姿かもしれない。
平日なら知り合いの画廊を訪ねるが日曜は休み。買い物を済ませ、直ぐに帰路に着いた。
途中、御徒町で下車した。アメ横は真っすぐ歩けない程大混雑していた。古い馴染みの店で、友人に送る国産ゴマの金と黒を買った。1キロで4000円と中国産の3倍以上だ。
7時に帰宅した。軽く夕食を食べてから、仕事部屋に寝転んで「竜馬伝」をぼんやり見ていた。今日は日本初新婚旅行の竜馬夫妻の高千穂峰登山だった。半世紀昔、高千穂峰は何度も登った。ドラマより周囲の風景を懐かしく見入ってしまった。
昨夜突然、出版社の参与をしている知人から、今母親が亡くなったと電話が入った。彼女は親一人子一人。途切れ途切れの言葉を聞きながら、2ヶ月前の母の死を思い出して辛くなった。今は葬儀準備で哀しみは押さえられているが、直ぐに寂しさにさいなまれてしまうだろう。
深夜、背中が痒くなつたが、孫の手が見つからない。
母の部屋の縁台にも置いてある。縁台の元は私手作りベットで母が寝ていた。今は畳表を張り、昼寝や食事に使っている。縁台の座布団や飯台をどかして探したが見つからない。
探しながら母の言葉を思い出した。
母は背中が痒くなると、深夜でも私を呼んで痒み止めの軟膏を塗らせた。
「背中が痒い時、すぐに塗ってもらえていいね。
オレは年取っても自分で工夫するほかないよ。」
母に言うと、「その時は、私が幽霊になって背中を掻いてあげる。」と笑っていた。
縁台前の仏壇に「約束したのに、出てくれないね。」と話しかけた。
孫の手は縁台脇に落ちていた。
今年は訃報が多い。老いて死ぬなら仕方がないが、多くは私と同年代で気持ちが重い。
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