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2010年9月30日 (木)

人は人生の旅人。10年9月30日

28日
朝の番組で、埼玉県高麗の巾着田の彼岸花大群落を紹介していた。
早速、雨の中、見学に出かけた。しかし、赤羽駅に着く頃に激しい雷雨に変わったので、急遽、明治神宮行きに変更した。

池袋で山手線に乗り換えようとすると、逗子行き湘南ライナーが到着したので飛び乗り、鎌倉行きに変えた。しかし、新宿に着いたら中央線の黄色い電車がホームに入って来たので、上野公園の博物館行きに変えた。介護生活の頃は、このような自由はなかった。自由気ままはすばらしい。

博物館は常設展示で客の9割は欧米系の白人、残り1割がアジア系だった。仏像から浮世絵の北斎、近世日本画の大観と大変に勉強になった。
博物館から西洋美術館へ行き、古典から印象派まで西欧の美術史を見た。古典の花や金属器の表現に感心した。ゴーギャンとセザンヌが意外に薄塗りだったのは発見だった。
帰る頃は雨は止んでいた。北赤羽で下車すると新河岸川上流の夕空が美しかった。

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29日
東京家庭裁判所へ出かけた。戸籍の名前に使われている「喜」が特殊な字なので名前の変更申し立てにだ。その経緯は7月3日のブログに書いた。私の「正喜」の「喜」は戸籍では「士・口・十・口」となっている。私はその日まで名前にその字が使われているとはまったく知らなかった。とりあえず、申請用紙だけ貰って帰った。私の場合は申請が認められるケースだ。

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上写真。有楽町のオープンカフェでコーヒーを飲んだ。ビル風が強く、コーヒーカップが倒れて慌てた。
下写真。日比谷パレス。レストランから結婚式場まである。森に囲まれた雰囲気がいい。

有楽町から日本橋三越まで歩いた。本館で知人の彫刻家が作品展をしている。母の介護で長く行けなかったので久しぶりに作家に会って雑談した。彫刻家も絵描き同様に生活は大変なようだ。作品に可愛いステンレス鋳物のカエルがあったので買った。

その後、伝統工芸展を見たが、30年前に見た内容から一歩も進化していなかった。これでは、公募展をする意味がまっくない。
日本橋から東京駅へ向かった。八重洲口は驚く程変貌していた。写真右手が東京駅。

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30日
銀行へ生活費を下ろしに行った。帰宅してから、銀行から電話があった。
「もしかして、番号札をお持ち帰りになったのでは、と思いまして。」
窓口で通帳類と引き換えに渡される番号札のことだ。急いで探すと、ズボンの後ろポケットに入っていた。不正に使われると大変なことになるので、夕暮れ前、熟年銀行員が受け取りに来た。
番号札を渡した後、玄関で立ち話をした。小雨だったが、13階からの眺望の良さに銀行員はしきりに感心していた。15年前、すばらしい夕日に感動し、母が最後を過ごすのに良い場所と思ってこの住まいに決めた。ものごと思い通り行かないものだが、母の死に関しては思った通りになった。

母との死別以来、外出帰りのエレベーターが寂しい。白い空間に一人取り残されたように感じ、ため息をついてしまう。
母が元気な頃は、銀座や日本橋あたりに行くと母の好きそうな食べ物を土産に買って帰った。
帰宅すると「楽しかった。」と、テレビを見ながらベットに寝ていた母は聞いた。土産を見せると子供のように喜んだ。今、それらの暖かい情景は消え、冷たい人気のない部屋に帰っている。先日、画家の故宮トヲル氏の未亡人に電話した時、彼女も同じ寂しさを嘆いていた。

最近、人は総て旅人だと思っている。
母は旅の途中に私に出会い、共に旅をし、去って行った。そして私は一人旅を続け、やがて母と同じように違う世界に去って行くのだろう。希望は、これからも様々な出会いがあり新たな思い出ができることだ。そのために、毎日、家に籠らず行動している。


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