エレベーターを待つ間。10年10月12日
玄関前から遠く戸田橋たもとの第一硝子の工場煙突が見える。一年中、煙突からは白い煙がたなびいている。エレベーターを待つ間、白い煙を眺めながら、「今日は東風だな。」とか「今日は風がないね。」とか独り言をつぶやく。
独り言がクセになったのは3ケ月前に母と死別してからだ。
母の死の2ケ月前まで、毎日、車椅子で散歩へ連れ出した。
エレベーターを待つ間、煙りの流れを教えると、母は手を合わせていた。硝子工場の上流にある戸田火葬場の煙突とイメージが重なり、父や祖母や兄や姉たちの冥福を祈っていたのだろう。
死別以来、買い物帰りは師団坂を上り、東京北社会保険病院の庭を抜ける。東京北社会保険病院には老人介護施設が併設されている。施設の個室は庭に面していて、時折、薄暗い部屋で老人が一人座っているのが見える。老人たちは何かをしている訳ではなく、ただぼんやりと死を待っているようで寂し気だ。
寂しそうでもこの施設の老人たちは恵まれている。
若い頃から、老後の生き甲斐や一人の生活に備えておかなければ、どんなに素晴らしい施設に入っても死を待つだけの寂しい老後になってしまう。
そんな光景を見ると、母を在宅で看取ってよかったと思ってしまう。
母は人一倍寂しがり屋で、入院させたら孤独に耐えられなかっただろう。
そんな寂しがりの母でも最期は俗世から決別していた。
死の半月前、母に頼まれて部屋を飾っていた写真などを総て片付けた。そして死の寸前には、医師や家族の手助けの及ばない世界で一人旅立つ覚悟をしているように見えた。
死に逝くとはそのようなことだ。死を受け入れようとする母を見たことが介護の収穫かもしれない。いずれ私も必ず死を受け入れなければならない。その時、死の意味を僅かでも分かっていれば苦痛は和らぐ。
「今日が良ければそれでいい」
母はよく言っていた。今、その気持ちがとてもよく分かる。明日より今日は確実に若く元気だ。だから、今日の大切さを味わうことにしている。来年どうなっているかより、今、自分がどのように暮らしているかが大切だ。
昨日の散歩の時、赤羽台団地で撮った。青空へ消えて行くように、丘へ上る道は好きだ。
こんな坂道を上って行くと、空へ吸い込まれるような気持ちになる。
師団坂、星美学園下花壇のウチワサボテンの実が熟した。ここは背後の石垣の輻射熱で猛烈に暑い。そのメキシコの荒野のような灼熱のおかげで食べられる程に太っていた。
1個もいで割って果肉を食べた。濃紅色の果肉は甘いが種はアケビなみに多く、美味しいとは言えない。おまけに割る時、微細なトゲが両手の指に無数に刺さってしまった。帰宅して、ルーペで見ながらピンセットで抜くと50本ほど刺さっていた。今も4,5本は残っていて何かの拍子にチクリと痛む。私は好奇心で食べたが、絶対に真似しないでほしい。
時折、近所の若いお嬢さんに赤羽近辺の植物を教えている。私は子供の頃から植物好きで、一般の人より少しは詳しい。大好きな樹木や草花について教えながらの散歩はとても楽しい。
食用になる自然の植物にも興味がある。だから、痛い思いをしながらサボテンの実を食べてしまった。
以前、知人の小学生の孫に土筆やスカンポなど食べられる野草と料理方法を教えていた。彼は今、植物採集と野草料理が好きな高校生に成長した。知識が受け継がれて行くのは、とても嬉しい。
植物観察のお嬢さんからはお礼に手作りケーキをもらった。とても上手にできていて美味しい。このようなやり取りも嬉しい。美味しくて楽しいことは人生の必須事項だ。その背景に美しい自然があれば、人生は更に素晴らしくなる。
昨日、公園で五葉のクローバーを見つけた。五葉のクローバーは100万本に一本の確率で、幸せに裕福の霊力が加わると言われている。とりあえず大金が入るチャンスは何もないが、良いことが起きそうと思うだけで嬉しい。今日、その公園に行くと、クローバーの生えていた芝生は刈り込まれ、作業員が掃除をしていた。刈られる前に見つけたことも運が良いのかもしれない。
下、昨日の夕暮れ。
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