母の魂は様々な人を呼び寄せた。10年10月17日
今朝方、涼しさで目覚めた。開け放ったベランダから流れ込む風が冷たかった。すでに、夏用タオルケット1枚では無理な季節になってしまった。一人暮らしでは、病気で寝込むのが一番辛い。今夜から夏布団を加えようと思っている。
先日、母の位牌が出来上がって来た。知人の好意で作ってもらった品で、金の彫り文字が入った大変に立派な品だ。姉に伝えると見たいと言うので、勤め先の新橋の小料理屋へ持って行った。
赤羽駅へ向かう途中、母の死をまだ知らない知人3人に次々と出会った。
「お母さんは、」と聞かれ、7月1日に死んだと伝えると皆絶句していた。死別から3ヶ月過ぎたのに死を伝える時はとても辛い。
5時前に新橋の店に着き、姉たちに位牌を見せた。その後、カウンターで食事をしていると、次々とお客が訪れ、小さな店は満員になった。これもまた母の位牌が客を呼び寄せたのかもしれない。
霊的なものは信じないが、次々と偶然に出会うと母の魂が親しかった知人やお客を呼び寄せたのでは、と思えて来る。
写真は昨日撮った。
丘へ続く道はいい。散歩道の桜並木が途切れる辺りにこの階段がある。通る都度、立ち止まって階段と白い家の上に広がる空を見上げる。空を見上げていると、様々な思い出が蘇り懐かしさで一杯になる。
思い出が人生の大部分を占める歳になった。もし、10年後も命があるなら75歳。平均余命では到達は容易だが、その保証はない。これからは日に日に体力が弱って最期を迎えるのが常だ。だから今日を大切に、できるかぎり楽しく生活しようと思っている。
今日も、散歩帰りに東京北社会保険病院庭で椎の実を拾った。地面に敷き詰めたように落ちている中から、黒くて尻が白い新鮮な実だけを拾った。
写真ほどの量を食べると一食分ほどになる。縄文人の秋の主食は椎に栗にユリ根などだ。長期保存ができるトチの実は、それらが払底してから灰汁抜きして食べた。
副食はイノシシ、シカ、野うさぎなどに魚介類とグルメだった。食事が一汁一菜と貧相になったのは大陸からの大量移民が始まった弥生期に入ってからのことだ。
病院庭は一般人が自由に散歩しやすいように改装されている。
椎の実を集めた後、夕暮れのベンチで一休みすると、向かいのベンチで大柄な老人が車椅子の孫をあやしていた。嬉しそうに足をばたつかせている孫を、老人は幸せそうに眺めていた。
その老人に曾祖父甚平の姿が重なった。
母を養女にした祖母千代は料理洗濯裁縫、一切できない人だった。だから、母は料理が得意だった千代の実父甚平に育てられた。
甚平は屈強で、西南の役では西郷軍に従って城山に籠ったほど血の気の多い人だ。しかし、母の記憶にある甚平は温厚で好々爺そのものだった。母の思い出を聞いていると、甚平は母に出会って初めて穏やかな幸せを感じたようだ。甚平は74歳で赤ん坊の母を育て始め、85歳で12歳の母に看取られながら死んだ。
「幽霊になってでも会いに来てほしい、と、いつも思っていた。」
生前、母は甚平をそのように話していた。もし黄泉の国があるなら、今頃母は子供の頃に戻って甚平と再会しているだろう。
夕暮れの遊歩道を乳母車を押して去って行く老人の穏やかな後ろ姿を眺めながら、そんなことを思った。
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