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2010年10月23日 (土)

美しい自然があれば、やがて訪れる死を安らかに受け入れられそうだ。10年10月22日

<久しぶりに川向こうの生協浮間診療所へ行った。自覚症状は何もないが、長い介護生活で体中が傷み、メンテナンスが必要になったからだ。

母を連れて長い間通った診療所は懐かしかった
「お元気になりましたか。」
看護婦さんたちが次々と声をかけてくれるのが嬉しかった。
受診は母の最期に往診してもらった若い女医さんだった。彼女は母の死後、花束を持って弔問に来てくれた。近況を話しながら、血圧を測り、聴診器をあて、血液を採取した。結果は次回に分かる。血糖値は良好にコントロールしているが、様々問題が出るのは覚悟している。

Ukima_2川向こうの左手の建物が住まい。こちちらの浮間側は土地が低く、水面との高低差は殆どないので高い堤防に囲まれている。
以前、この川沿いの道を母の車椅子を押して帰っていた。

最近、再び右下まぶたのピクピクが始まった。9月にも起きたが2,3週間で治まって忘れていた。自覚症状はないが鏡を見ると気になる。調べてみると病名は眼瞼ミオキミア。疲労やストレスが原因らしいが、はっきり分からない。パソコンのやり過ぎも原因の一つだ。希に脳腫瘍の症状の場合があるので疎かにできない。近く眼科にかかるつもりだ。母の死を受け入れていると思っているが、それは表面だけで、心の底では解決できていないのかもしれない。

Koke

桜並木の何でも屋で焼き海苔を買った。母はこの店の海苔が好きだった。
「寂しいでしょう。」
レジを打ちながら主人が聞いた。
「寂しいのは誰もが辿る道で、受け入れる他ありません。」
私は明るく答えた。
それは強がりではなく、外を歩いている間は気分は明るい。しかし、誰もいない部屋に帰ると寂しくなる。以前は母に散歩での出来事を話すと、とても喜んでいた。話す相手がいない寂しさが、これほどとは予想外だった。

母が生きている頃は人生に先がある感じだった。しかし、逝ってしまうといきなり自分の死が間近に迫って見える。だからと言って死を恐れてはいない。ただ、受け入れるにはかなりの努力が必要だと覚悟している。

何でも屋隣の雨に濡れた公園で休んだ。赤羽自然観察公園と違い、熊手を入れないので苔が美しく育っていた。

SirodamoHoto_2東京北社会保険病院の庭へ上ると、シロダモの実が熟していた。右上の枝の小さな粒が花と莟だ。この実は熟すのに1年かかり、花と実が同時に見られる不思議な木だ。
赤い実から昔は木鑞を採った。

その後、赤羽自然観察公園へ回ってみた。
皮肉にも赤羽自然観察公園より東京北社会保険病院下の公園の方が自然が豊かだった。

写真はやっと見つけたホトトギスの花。以前はこの辺りに群生していたが、無茶な草刈りのせいで殆ど壊滅してしまった。

最近、「里山作り」の言葉が免罪符になり、行き過ぎた手入れが各地で行われている。多様な生物相を目的としているのに、本末転倒して生物相を貧しくしている。

毎日、クマが殺されている。人命は大切だが、一方的に殺されているクマたちが哀れでならない。人の知恵で、人とクマが共生できる方法があるはずだが、それには何処も熱心でない。

美しい自然の中でこそ、やがて訪れる死を安らかに受け入れられる。それは幻想ではなく、DNAに刻み込まれた本能だ。だから、痛めつけられる自然や野生動物たちを見ると、安らかな死に場所を奪われた寂しさを覚える。

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