シャッター通りの馴染みの店でメモ帳を買った。10年10月3日
ボトルからミネラルウオーターを一気飲みしたら、最後の一口でむせてしまった。最近、食道と気管の切り替えがスムースでなく、決まってそうなってしまう。
母はもっと症状はひどく、誤嚥に気を付けていた。体質が似ていると言うより私が老いてしまったようだ。
昨日、桐ヶ丘生協での買物帰り、前をとぼとぼと歩いて行くおばあさんに会った。追い抜いて振り返ると顔馴染みだった。
声をかけると、ニッコリ笑った後「どなた様でしたか。」と聞いた。
「母の車椅子を押していた私ですよ。」と事細かに説明したが思い出せない様子。今年始めに母と会った時、「しばらくお会いしなかったので、どうされているのか心配していました。」と母の手を取ってさめざめと泣いていたのに、記憶が定かでなくなるほどの弱りようだ。彼女は85歳のご主人と二人暮らしで、子供は殆ど出入りしていないと聞いている。老夫婦の先行きを思うと気持ちが沈んだ。
母の死は伝えず、「お体を大切に」と、ねぎらって別れた。
赤羽台団地商店街の古い馴染みの文房具店に寄った。団地は老人ばかりになり、この商店街もシャッター通りになってしまった。店内に入ると女店主が一人ぽつんと座っていた。声をかけると一瞬で笑顔になった。何となく手に取ったメモ帳を買って支払いを済ませた後、7月1日に母が死んだことを伝えた。
母とは40年前、彼女が嫁に来た頃からの知り合いだった。その後に生まれた子供たちは成人し、小学生の子供がいる。死ぬ2ヶ月前に会った時、母は彼女と楽しそうに昔話をしていた。昔の団地は子供が多くとても活気があった。そして、母も彼女も私もとても元気だった。それからの変遷を振り返ると夢のようだ。
女店主は母の死を聞くと、みるみる顔が曇り涙声になった。商店街の衰退の寂しさが母の死に重なったのかもしれない。私はいたたまれなくなり、逃げるように辞した。
新河岸川を下って行くエンジン音が聞こえた。玄関を開けると隅田川へ向かう遊覧船が見えた。
土日だけの運行で、今の時期の乗船客は少ない。
海育ちの私は船の音が懐かしい。
車の音が騒々しいのに比べ詩情がある。
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