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2010年12月14日 (火)

上越は雪前の静かな雨景色だった。10年12月14日

12日日曜日、上越市の樹下美術館を訪ねた。(左サイドでリンク)
上越ゆかりの陶芸家斎藤三郎氏と洋画家倉石隆氏の作品のための美術館である。
母の介護を始めてから旅はしていないので、8年ぶりの旅だ。

美術館は田園風景に囲まれた可愛い瀟洒な建物だ。ドライブ途中に立ち寄り、喫茶コーナーでくつろぐフアンは多い。オーナーのS氏には作品を多く買い上げていただき、物心ともに助けられた。私の作品の一つ「午睡」100号が季節限定で喫茶コーナー壁に展示されている。

Jyo1Jyo3早起きをして、新幹線に乗った。

日曜朝のせいで、一車両に私を含め乗客は4,5人だけだった。
昨夜は殆ど寝ていないが、久しぶりの旅に気分が高揚した。

関東平野は快晴であった。
車窓の、今描いている絵にピッタリの雑木林を記憶に刻み付けるように見入った。

高崎を過ぎる辺りから左右に妙義、浅間、榛名、赤城と山塊が広がった。
しかし、上越国境の大清水トンネルを抜け越後湯沢駅に着くと天候は激変し小雨模様だった。
上越国境の急峻な三国山脈は日本海の湿気を総て雨や雪に変えてさえぎり、関東は乾いた寒風に吹きさらされることになる。
この劇的な気象変化にはいつも驚かされる。

ほくほく線への乗換駅、越後湯沢ホームの温泉の手洗いで顔を洗うとさっぱりした。

始発の金沢行きの特急はくたか8号に乗車した。
車窓から振り返ったが、見えるはずの谷川連峰は雲におおわれていた。

ほくほく線は、いつもなら素晴らしい山景色の中を行くのだが、雲が低くほとんど見えなかった。

直江津には小1時間で到着した。
目的地は直江津から四つ先の上越市潟町。長岡行き各駅停車の出発まで待ち時間が長いので駅の外へ出た。

雨が止んで、駅の陸橋から積雪した妙高の山々が見えた。

Jyo5

長岡行き各駅停車に乗った。半自動ドアのロックが外れたら自分で開ける方式に戸惑い、危うく乗り遅れるところだった。

乗客は地元の老人と若い女性だけ数人。女性に潟町を通るかどうか聞くと、路線図まで連れていってくれて指さしながら教えてくれた。清楚で横顔のきれいな人だった。
潟町で下車する時、短く礼を言うと、はじけるように笑顔になった。笑顔に幼さが残っていて、思っていたより若く二十歳前後だと思った。その時、遠く日本海まで来た旅情をしみじみと感じた。

2jyo4潟町の静かな街並にある樹下美術館オーナーのS氏ご自宅を訪ねた。
すぐに、S氏の母上に会って挨拶した。
死んだ母より一つ下で、同じ九州出身のハキハキとした明るい語り口が懐かしかった。
南国の快活な気質が初冬の上越の風景に際立って見えた。

ご自宅を辞して、S氏夫妻の車で樹下美術館に向かい、喫茶コーナーで昼食をいただいた。

夕暮れ、樹下美術館の学芸員をされていたTさんと合流し、上越市柿崎区水野の手打ちソバの銚子屋を訪ねた。

銚子屋は米山登山口にあり、古民家を改装した親子二代の経営である。
引き戸を開けて入った部屋は、薪ストーブと囲炉裏で、とても暖かかった。
すぐに、囲炉裏で焼いたイワナの塩焼きを肴に、S氏持参のワインをいただいた。
地元産を店で挽き、ジネンジョをつなぎに打ったソバは香り高かく美味かった。

手打ちソバの銚子屋---米山薬師ソバ
上越市柿崎区水野385
TEL 025-536-5524

食事途中、トイレへ行くと今風の清潔な水洗で、昔の山国の記憶と隔世の感がした。
日中なら山間から日本海が見える大変眺望の良い所のようだ。
残念ながら漆黒の闇だけだったが、冷気の中に自然の物音が聞こえ清々しかった。

夜はS氏別宅でお茶をいただいた。こちらは本宅の古風な日本家屋とは違い洋風だった。S氏夫妻に泊まるように薦められたが、直江津のホテルに予約を入れた。

くつろいでいると突然私の携帯に電話が入った。隣家のYさんからで、花が届いているから預かっているとのことだった。旅に携帯を持って出たのは初めてで、東京にいるような気分になった。

3jyo61jyo9Jyo10Jyo134jyo14_26jyo17Jyo16Jyo125jyo15_2Jyo19Jyo18S氏夫人に勧められた直江津駅前のホテル・センチュリーイカヤは隅々まで清潔で心地良かった。左写真は鏡に映して撮った。

値段はビジネスホテルなみに安いのに、シティホテルにありがちなタバコ臭さもなく、液晶テレビも国産の良いものが置いてあった。
直江津は電子材料の重要な生産地で、その関連の宿泊者が多いからだろう。

佐渡へ行く予定だったが、観光案内所で聞くと定期船は11月一杯で終わっていた。

予定は決めず、直江津市内を散歩した。
隣の黒井駅で電車に乗り、次の犀潟駅で途中下車して、もう一度樹下美術館を訪ねようと決めた。
その後は、再度ほくほく線に乗り、どこか気に入った町で途中下車して1泊しようと思った。

直江津のメインストリートはシャッター通りに変わり、人影はなかった。
40年前訪ねた時は積雪した通りの雁木下を、にぎやかに買い物客が行き交っていた。

海が見たかったので、直江津港へ向かった。

関川直江津橋を渡り川沿いの遊歩道を海へ歩いた。出会った生き物は写真のセキレイ一羽だけだった。テリトリーを歩き回っている後ろ姿が健気だった。

関川河口から灰色がかった日本海が見えた。右手は第二次大戦中の捕虜収容所跡で、小さな公園に小さな平和記念館があった。病死した捕虜たちは気の毒だが、命令に従っただけなのに処刑されたB級戦犯たちも気の毒だった。

大型船を期待したが停泊はなく早々に港を離れ黒井駅を目指した。
住友金属、信越化学などの大工場群の間の殺風景な道を歩いた。手元は簡単な観光地図だけで心許なかったが、道を聞くにも誰も歩いていない。道を走っているのはトラックばかりでタクシーはまったくない。直感に従い、急ぎ足で進むとようやく黒井駅が見えてホッとした。

無人駅の黒井駅ホームには誰もいなかった。傍らに掘り割りがあり水鳥が浮かんでいた。5分程待つと、長岡行きが来た。

次の犀潟駅で下車して、20分ほどのんびり歩いて樹下美術館に着いた。
昨日は話しに夢中で周囲を見学していなかった。
美術館裏には広々と田圃が広がり、好天なら積雪した広大な三国山脈が見えるはずだ。しかし、秋と冬の境の清涼なこの風景も捨て難かった。

15時20分のほくほく線越後湯行きの各駅停車まで時間があった。
散歩したり、喫茶コーナーでお茶を飲んだりと、のんびりしているうちに時間が来た。

「犀潟駅まで車で送ります。」
学芸員のAさんの申し出を、歩いて行くと断った。
「雨も降っていますし、車の方が良いですよ」
Aさんは熱心に薦めた。
「歩けば草木を眺められて楽しいし、運が良ければお金が落ちていることもあります。」
先日、東京北社会保険病院下の公園で百円拾ったことを思い出しながら答えた。
「ここは田舎だから、お金なんか落ちていません。」
Aさんがきっぱり言うと、
「私、先日100円拾ったわ。」
と、もう一人の学芸員のBさんが言った。

結局、私がおれて車で送ってもらうことにした。
車は便利だ。待ち時間が20分ほどできたので、犀潟駅周辺を散歩した。
駅構内では除雪に備えロータリー車の試運転をしていた。
こちらの人との会話に雪のことが必ず登場する。雪国の人にとって、雪はそれほどに大きな存在のようだ。

電車に乗るとすぐに暗くなった。
途中下車する予定だったが、どの街も暗く、その意欲が湧かず、結局、越後湯沢まで行ってしまい、何となく新幹線で帰ることにした。

新幹線ホームは乗客が行列していた。一気に東京へ引き戻され、旅情に満たされていた心が薄汚れて行くのを感じた。

新幹線はほぼ満席だった。通路を隔てて、新潟辺りでの法事帰りらしい喪服の70歳ほどのおばあさんと若者の連れが腰かけていた。
おばあさんは、声高に親戚の悪口を喋り続けていた。うるさいのでイアホーンで音楽を聞いた。

高崎を過ぎ大宮が近づいたのでイアホーンを外すと、まだおばあさんは悪口を喋り続けていた。黙って聞いている若者は時折あくびをかみ殺している。もしかすると、周囲の無理解や孤独がおばあさんを偏屈に変えたのかもしれない。

大宮駅で新幹線から埼京線に乗り換えると、我が家に帰ったような気がした。
北赤羽駅で下車すると大きな安堵感を覚えた。しかし、赤羽北の住まいは永遠なものではない。もしかすると、半年足らずで浮漂しなければならないかもしれない。
それが私をつなぎ止めていた母をなくした大きな意味なのだろう。

プチプチの効果で、無人なのに室温は18度と暖かかくホッとした。冷たい部屋へ帰ることほど、独り身に辛いことはない。リュックを置いてから、隣家で預かってもらっていたクリスマスの盛り花を受け取った。送り主はユニバーサルデザインをしている美しい人だ。心に暖かいものが加わった気がした。

冷蔵庫を開けると出発前に買った比内鶏があった。賞味期間は終わりかけている。慌てて調理し、食べきれない分は冷凍した。料理をしていると、次第に日常が戻って来た。

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