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2010年12月18日 (土)

今を老いた自分から振り返れば、眩しいほど恵まれて見えるはずだ。10年12月18日

A1801_2穏やかな晴天だった。エレベーターを待つ間、いつものように戸田橋たもとの第一硝子の煙突を眺めた。風はなく煙りは上に上っていた。

家に籠っていると、寂しいことばかり考えてしまう。だから、用がなくても必ず散歩に出る。心身の健康を何とか維持していられるのは毎日の散歩のおかげだ。

最近の散歩には、iPodを必ず持って行く。昔、ウォークマンが出た頃、新機種が出る都度買うマニアだった。しかし、母の車椅子を押すようになってから、危険なのでまったく聞かなくなった。

iPodはデザイン重視で使い勝手は悪い。指先でなぞっての操作は手袋では認識しない。誤作動も多く、聞いていると、突然別のファイルへ飛んだりする。
電源が入らないような明快な故障なら、すぐに取り替えてもらえるが、誤作動の再現は難しいので、泣き寝入りすることになる。このような製品のばらつきは、日本製には殆どなかった。新興国の安さ重視の戦略を受け入れさせられるのは腹立たしい。

下写真。桐ヶ丘の北中校内の冬木立。

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昨日、新橋の姉の店へ行った。駅前広場の蒸気機関車にはイルミネーションが飾られ、アメージング・グレースが流れていた。

店は年末の花金で客で一杯と覚悟していたら一人も居なかった。他の店も客はなく、路地に店主や従業員が腕組みして立っていた。忘年会シーズンの金曜は、客は大きな店に流れるのだろう。

客がいないので、姉たち二人としみじみと話した。
「もう、姉弟二人だけになったんだから、体には気を付けな。」
姉が珍しく私の体調を案じた。同じ両親から生まれたのは姉と私二人だけになった。九州に老いた兄一人と姉二人がいるが共に片親が違う。普通に逝くなら、九州の兄姉たち、この姉、私の順序で、いずれ姉弟二人になるのは順当だ。

母の部屋に母自作の人形が5体飾ってある。昔、自分が生んだ子供5人に模して作ったものだ。真ん中の兄は43歳で死に、右の姉は2年前に死んだ。これから先、私が保管できなくなったら、それぞれの娘たちに引き取らせ、自分の人形は燃そうと思っている。

A180_3A1805_2A1807_2東京北社会保険病院の庭で親子連れが遊んでいた。これくらいの頃が一番幸せだろう。

今も母の車椅子を押していた頃のことを思い出す。当時は24時間、母の介護で疲労困憊していたのに、思い出すのは母の笑顔や明るく優しい声ばかりだ。

東京北社会保険病院併設の介護施設「さくらの杜」の脇を抜ける時、寂しそうに外を眺めている入所者の姿が見えた。悩んでばかりいる私だが、入所老人たちからは元気で幸せ一杯に見えるのかもしれない。

久しぶりに緑道公園の桜広場まで行った。桜はすっかり葉が落ちて、広場に枝影を落していた。撮影位置の後方200mほどに赤羽自然観察公園があるが、行く気にはならなかった。

まもなく66歳、明日や来年を期待てできない歳になった。老いたら明日を待つのではなく、今日1日をしっかりと生きることがとても大切だ。

今の不幸を過去の幸せと比較すべきではない。幸不幸は、見る視点で入れ替わってしまう。今の自分を老いた自分から振り返れば、眩しいほど恵まれて見えるはずだ。さらに、末期ガンを宣告された自分や、死に瀕した自分からなら、その落差は富士を見上げるほどに大きい。だからこそ、今をしっかりと生きるべきだ。

帰宅して洗濯物を取り込み、ベランダの植木に水をやった。
写真は、30年前に赤羽台団地の祭りで貰った景品の「幸せの木」だ。貰った時は掌に乗るほど小さかったのに、今は胸の高さに成長した。その生き生きとした姿を眺めていると、大きな幸せが巡って来るような温かさが心を過った。

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