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2010年12月21日 (火)

修復前の広隆寺・弥勒菩薩と、超効率な石油生産藻類と、ブラック企業。10年12月21日

Miroku_2先日、知人宅で広隆寺・弥勒菩薩の複製ブロンズを見た。
明治30年代、冠上部の欠損と、右目上のケロイド状の傷を修復する際、石膏で型取りしたものだ。今なら国宝に対してそんな荒っぽいことは絶対にできない。明治期の広隆寺は浮浪者が住み着くくらい荒れ果てていて、国宝級の貴重な仏像との認識が当時はなかったようだ。

関係者は総て鬼籍に入り、ブロンズに至る経緯は分からないが、修復経緯が読み取れるとても貴重な品だ。

弥勒菩薩は明治の修復時、頬を削ったと言われているが真相は違う。
韓国の学者が、「日本帝国主義が韓民族を卑下するために、韓国伝統的な弥勒菩薩のふくよかな顔立ちを日本風に変えた」と噛み付いていたが、その論旨は政治的過ぎて史実を無視している。しかし、残念ながらそのように考えている韓国人は多い。

現在の弥勒菩薩が原型から鋳込んだブロンズ像とかなり違うのは、厚く塗り重ねられていた漆層を剥がした姿だからだ。
今なら考えられない荒っぽい修復だが、元々仏像は美術品ではなく信仰の対象で、信者が求めるように少しずつ作り替えられるのが伝統的なやり方なのだろう。

修復法に批判はあるが、漆を落とした今の姿の方が原型より美しい。それは仏師が彫り上げた真の姿だからだ。精魂込めて彫り上げた像に、漆工によって分厚く漆が盛り上げられ変貌してしまい、作者は不本意だったはずだ。

修復当時の記録では頬の辺りの漆の厚みは4〜5ミリに達していた。これは面立ちが変わる程の盛り上げだ。塗りが厚過ぎるとひび割れ変形などの損傷を生じやすい。4〜5ミリの厚みは堆朱ができるほどの厚みで、きわめて異常だ。実際、ブロンズ像の顎の辺りが不自然に変形している。右目のケロイド状変形も厚塗りのせいだろう。

私見だが、工人が精魂込めて彫り上げた木像を渡来系の発注者は気に入らず、漆工に命じて半島風の面立ちに仕上げさせた、と推測している。私も職人をしている頃、発注者に、そのような変更を指示されたことが何度もある。

弥勒菩薩の素材は赤松。日本では仏像に赤松は使わないので、半島からの伝来仏像と思われていた。しかし後年、仏像内部に制作過程で嵌め込まれた国産クスノキ製銘版が見つかり、伝来説は完全に否定された。

当時の工人の多くは帰化人で、産地にこだわることはない。
日本人自体が、韓半島や中国、南方からの移民を加えて形成されているのだから、偏狭な民族主義はバカバカしい。

ただし、仏像の美しさは韓半島より日本で作られたものの方が優れている。
古代の韓半島は平和な時代は少なく、戦乱がある都度、敗れた王族たちは有能な技能集団を引き連れて平和な日本列島に亡命して来た。そのため、韓半島では優れた技能者たちが払底し、残った技能者たちも閉塞した環境で技量を発揮できなかった。当時の日本は韓半島より穏やかで、渡来系工人たちは力を自由に発揮できた。

以上の推測から、弥勒菩薩制作に関わった人間ドラマが垣間見える。
・・・日本の自由な雰囲気の中で育った渡来系の若くて有能な工人がいた。彼は弥勒菩薩制作が任せられ、伝統的なふくよかな顔ではなく凛とした細面の弥勒菩薩を彫り上げた。しかし、工人の長は広隆寺を氏寺とする渡来系の秦氏に慮り、漆工に、こくそ漆を盛り上げて伝統的なふくよかな顔に変えるように命じた。若い工人はそれに深く失望した。

一千年以上経た明治期、変形した漆は削ぎ落され、彫り上げられた当時の姿に戻った。もし、漆が塗られたままだったら、今程の評価はあり得なかった。

思いがけなく複製プロンズを手にし、そのような古代のドラマが去来した。

もし、私が広隆寺の弥勒菩薩を物語にするなら・・・若い工人は夭折した恋人の面影を弥勒菩薩に彫り上げた。そして、渡来人の父か祖父の思いを組んで素材は赤松にした・・・そのような伏線を筋書きに加える。いずれにせよ工人は日本育ちの心優しい青年でなければならない。
ゆとりができたら広隆寺へ出かけて取材してみたい。

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やや古いニュースになったが、筑波大の渡辺信教授らが石油を従来種の10倍効率的に生産する藻を発見した。

沖縄の海で見つけた藻で、1個あたりの生産量は従来種と変わらないが、成長スピードが10倍以上早い。研究チームの試算では、深さ1m、広さ1ヘクタールのプールで年間1万トンの石油を作りだす。もし東京都の10分の1の面積のプールで培養すれば、日本の石油輸入量を賄える計算になる。土地は休耕田などを利用すれば容易に実現可能だ。

大規模に生産すれば、コストも自動車用燃料1リットルあたり50円以下になる。藻の培養には生活排水中の有機物と空気中の炭酸ガスと太陽光を利用する。どれも、現実的な数字で、排出炭酸ガス負担のない循環型燃料の出現は大変な朗報だ。

この藻類が作った石油が普及すれば、電気自動車に大きな影響を与える。エネルギー量の小さなリチウム電池を使う限り電気自動車は主役にはなれず、従来型のエンジン車の牙城は揺るがないからだ。
とすれば、電気自動車用のレアアースの需給も影響を受ける。もし実用化されたら、中国のレアアース戦略は大きく見直されそうだ。

最近、世界中で日本の衰退を面白可笑しく囃し立てているが、このような発表を見ると、「簡単には衰退しないぞ。」と言い返したくなる。
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就活シーズンのせいか、ネットに就職してはならないブラック企業一覧があった。

毎年、その発表を見て感じることがある。前近代的な精神訓で縛り付け、長時間労働を押し付ける嫌な企業なのに、働き続けている者がいることだ。昔のタコ部屋のように厳しく拘束されている訳ではないのに、なぜ逃げ出さないのか不思議だ。

真偽は分からないが、浪花節調の組織で長時間働かさせるけど給料は良いブラック企業があったりするようだ。ある食品チェーン店では赤字でも100万以上のボーナスを支払ったりする。そのような企業の社長は大抵叩き上げの苦労人で、「自分も犠牲を払うから、お前たちも滅私奉公しろ。」と要求する。

しかし、今の世の中でそれは通用しない。日本は民主主義国家で職業を選ぶ自由は保証されている。もし、本当に悪質なら、働く者はいなくなって淘汰される。そんな企業が今も多く在るのは、それを容認する多くの労働者がいるからだろう。

ブラック企業は高度成長国特有のものだ。例えば、韓国、中国企業の殆どは日本の基準ではブラックに属する。サムスンなど、実質40歳定年で、35歳あたりから大きな成果が上げられなければ40歳を越して会社に留まることはできず、退職させられる。それでも日本より起業しやすく、元サムスン社員の肩書きは社会的信用が高く、転業は容易なようだ。
日本も高度成長期の企業は今の感覚では殆どがブラックだったが、今の韓中企業の熾烈さはそれ以上のものだ。

一般の基準では、絵描き音楽家役者も立派なブラック職業だ。低賃金長時間労働で、福利厚生は全くない。それでも辞めたがる者は殆どいない。仕事は生活の手段だけでなく、生きがいや好みも大きく影響するからだ。

下写真。師走の赤羽駅前。

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Aka2_2San_2Inu1_2Nasu1_2左写真。弁天通商店街。昔の赤羽のメインストリートだったが、今は寂れている。

この商店街は1968年、森繁久彌主演の駅前シリーズ映画「喜劇・駅前開運」の舞台になった。
その頃、隣の十条に23歳の私は住んでいたがロケの記憶はない。
後年、映画は貸しビデオで始めて知った。
当時はたいへん活気のある街で、今の寂れた通りからは想像もできない。

赤羽駅高架下、アルカードの踊るサンタ。
見る人もなく、わびしく唄って踊っているサンタを、気の毒そうに見ながら通り過ぎる女性の表情が良かった。

買い物帰り、東京北社会保険病院下を抜けた。
南斜面にイヌナスがあった。
上は花。下は実。名前の通り、葉と茎の色合いはナスに似ている。正確な名前は知らない。

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