« 秋が深まり、体調不良のおかげで絵が描けるようになった。10年12月6日 | トップページ | 東京フォーラム前のフランス、ストラスブールから招いたマルシェ・ド・ノエルは期待はずれだった。10年12月11日 »

2010年12月 9日 (木)

プチプチをガラス窓に貼り込むと室温が3度上がった。10年12月9日

予報通り寒波がやって来た。新河岸川にも鴨が飛来し、おもちゃのようにプカプカ浮いている。
寒風で大気が澄み、奥秩父の積雪した山塊が明瞭に見えた。
昔見たSF映画「ブレードランナー」で、写真がどこまでも拡大できるシーンがあった。もし、そのような未来の超精密デジカメの写真なら、何百倍にも拡大し、山の動物たちを見つけられるだろう。

Yama1_2

Kamo_2MadPuci2_27日、寒波来襲の前にプチプチを窓に貼った。

写真2、南向きの窓の平滑なガラスに水張りタイプのプチプチを貼った。
硝子を磨き、霧吹きでたっぷり湿して押し付けるだけで貼り付く。糊などは使わないので、剥がすのも簡単だ。

2007年に買ったプチプチで今年で4度目の使い回し。しかし、接着力に劣化はない。厚みは4ミリで断熱効果は高い。

写真3、北向きの仕事部屋のガラス窓は、ワイヤー入りのダイヤ模様強化硝子で水張りができない。両面テープで貼付ける簡易タイプのプチプチを外からしっかりガムテープで貼り込んだ。水張りタイプに比べ価格は安い。

貼り込み終えると、すぐに室温が3度ほど上昇し効果を実感した。
ことに南向きの部屋は夕暮れまで25度を保っていた。

8日昼、池袋で日本生命倫理学会事務局のOさんと会った。
母の仏前にカサブランカの花束を貰い、夕暮れに帰宅した。
ドアを開けると、暖房なしなのに温かくホッとした。
北向きの仕事部屋でも室温は20度。
集合住宅での放熱の殆どは窓ガラスからで、それを断熱する効果は大きい。

母が使っていた手製ベットを改造した台の上に畳表を張り、布団を敷いて寝ていたが、寝ている間に何度も落っこちて安眠できない。それで、7日夜から仕事部屋で寝ている。以前から眠り慣れた場所なのでよく眠れる。
手製ベットの方は、写真2のように布団型の寝袋を敷いて昼寝に使っている。

9日朝、「正喜、起きなさい。」と、死んだ母の声が聞こえて目覚めた。
すでに10時近い。母は死ぬ前の弱った頃でも、起こすように頼んでおくと、忘れずに起こしてくれた。寝起きの頭に、母がまだ生きているような不思議な感覚が残った。

目覚めた北向きの仕事部屋は室温18度を保っていた。上下左右の住まいの暖房が伝わるので温かい。
----------------

「あかつき」の金星周回軌道への投入失敗は残念。原因は逆噴射エンジンの不調。世界初のセラミックノズルを使ったエンジンで、ノズルを作った京セラと三菱重工は気になるだろう。原因が何であれ、果敢に新技術に挑戦する姿勢は素晴らしい。

心配なのは官民挙げての無駄使い批判だ。既に小型衛星にこだわる宇宙機構に、観測機器を減らしても重要部品は二重三重にバックアップ設けるべきだったと批判が出ている。欧米の衛星はそのような設計思想で作られ、昔から成功率が高い。
果敢に新技術で挑戦するのが良いか、従来技術で成功を確かにするかの判断は難しい。更に技術を高め、今の日本方式での新しいバックアッブ技術を確立するのがベストかもしれない。開発に携わった技術者や企業は実に真摯に取り組んで来た。それを天下り役人の無駄使いと同列に論じて欲しくない。

中国の科学ジャーナリストが、日本の宇宙技術に比べて中国の宇宙開発はどれもロシアの二番煎じで新味がないと論じていた。彼はハヤブサのイオンエンジンやイカロスの宇宙帆を果敢な挑戦だと褒めていた。世界には色々な見方がある。

「あかつき」の金星への最接近は6年後。もし逆噴射ロケットエンジンが無事なら再挑戦できる。しかし、はたして自分が生きて結果を見る事ができるかどうか自信はない。
-----------

銀座1丁目にあったギャラリー・二ケの経営者新井氏の訃報を聞いた。享年60歳だった。
彼女と最後に会ったのは8年前だ。大宮の浜田氏と電通の新社屋の展望室を見学した後、清水尉氏が個展をしていたギャラリー・ニケに寄った。作家と談笑していると、「何だ、貴方だったの。」と奥から彼女が現われてビックリした。彼女は絵描きを目指していたが、途中からギャラリーを始めると話していた。それがギャラリー・ニケだった。その個展の主の清水慰氏も今年の夏、肝臓ガンで死去した。

新井氏の死因は脳溢血。次の個展を予定していた作家たちが連絡が取れないのを不審に思って訪ね発見された。発見までには間があったようで気の毒でならない。同じ独り身として他人事ではない。そのような事態に今から備えなければと痛感した。

今年ほど訃報を多く聞いた年はない。同年齢の知人に会う都度、訃報の多さが話題になる。これは特異なことではなく、私たちが老いたからだろう。病も死も日常の歳になってしまった。

池袋で日本生命倫理学会事務局のOさんと会ったあと、東武デパート1階のフランスの化粧品メーカーロクシタンで「シアバター」を買った。無添加100%の白いバター状で、手にしっかり擦り込むと水落ちしにくく、水仕事に向いている。
シアバターはアフリカの木の実から取った常温固形の植物油。現地では食用にされ、肌にも優しく髪につけても良い。

Ma_3

Ma_4

Ma_5

|

« 秋が深まり、体調不良のおかげで絵が描けるようになった。10年12月6日 | トップページ | 東京フォーラム前のフランス、ストラスブールから招いたマルシェ・ド・ノエルは期待はずれだった。10年12月11日 »

心と体」カテゴリの記事