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2011年1月18日 (火)

野を走る者は山を見上げよ。比べれば岩も谷も小さく障害にならない。--インディアンの言葉11年1月18日

去年夏は史上最高の猛暑。
そしてこの冬は、青森と山口の2地点で観測史上最低気温を観測した厳しい寒さ。これでは、母が生き延びるのは難しかった。

寒さの所為でケフィアヨーグルトの発酵が遅くなった。母がいないので暖房を抑えているせいもあるが、それ以上にこの寒さが原因だろう。今は暖かい仕事部屋に容器を置いて発酵させている。

ヨーグルトは食べ終えたら1割の種に新しい牛乳を加える。夕食でヨーグルトを食べ終え、新しく仕込もうと思ったら牛乳がない。慌てて、川向こうのライフへ買いに行った。

帰り道、満月を見上げながら新河岸川河畔をのんびり歩いた。遊歩道には街灯がなく、地面に私の影が映っていた。ふいに、子供の頃、満月の夜に影踏みをして遊んだことを懐かしく思い出した。

昭和20年代、短期間だが大堂津隣の港町目井津の小さな映画館を父は経営していた。
当時は映画全盛期で、父は一発当てようと畑違いの仕事を引き受けたのだろう。母は毎日出かけて切符売りを手伝っていた。
時折、私たちは映画を見に訪ね、帰りは母と一緒に大堂津まで歩いて帰った。子供心に深夜だと思っていたが、9時くらいだったと思う。その時間には汽車もバスも終わっていて、1里程の海岸沿いの夜道を母たちと歩いた。父の姿がなかつたのは、歩くのが嫌で早めに自転車で帰っていたからだ。

満月の夜は母とすぐ上の姉と影踏みをしながら歩いた。月に照らされた白く光る道を、母たちと遊びながら帰ったことを夢のように思い出す。
映画好きの母は毎日楽しそうに手伝っていた。殊に満員の夜は、十円玉で膨らんだ袋を「重い重い。」と嬉しそうに下げて歩いていた。

父は大阪まで新作を借り入れに行き、日本2番目のカラー作品「夏子の冒険」を南九州で最初に上映したと、晩年まで自慢していた。宮崎の少女歌劇や、三つの歌や、東京の奇術師や、父は手当り次第に興業を打ったが、どれも裏目に出て1年足らずで経営に失敗した。

しかし私は、映写技師からもらったカーボンや映画フイルムの切れ端を自慢して、羨望を集めていた。カーボンは銅の被覆で覆われた黒鉛の丸棒で、鉛筆のように落書きに使えた。
当時の映写機はカーボン先端をショートさせたアーク光を光源にしていた。アーク光は高熱を発し、たびたびセルドイド製のフイルムは焼き切れた。フイルムが切れると「早くしろ。」と館内は大騒ぎで、映写技師は汗をかきかきハサミでフイルムの画像を削り取り接着剤で繋いでいた。
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下写真。昨日の空。

Fuyu

夕食後15分だけ走る。血糖値の正常化のためだが、すぐに走るのが楽しくなった。
昔、長距離が得意で高校の頃は全校でトップだった。不思議なことに体が覚えていて、息切れしていたのに、すぐに平気になった。

最近、夕暮れの空が美しい。見上げながら走ると気持ちが晴れ晴れとする。
アメリカインディアンの言葉に「山を見上げながら走れ」とある。高い山を見上げれば、地上の岩や灌木や谷の障害は取るに足りないほど小さく、風のように軽々と飛び越えて走ることができる、と言った意味だ。
今の私には示唆に富んだ言葉だ。部屋にこもっていると、寂しさに押し潰されそうになる。しかし外に出ると、大空に比べ、寂しさは軽々と飛び越せるほどに小さい。だから晴れ晴れとするのだろう。

インディアンは死後はだれもが天国へ行けると考えた。彼らの社会には、極悪犯罪がなく地獄を考える必要がなかった。
「白人の牧師は死んだ後も、争い殺し合う地獄があると言う。しかし、自分たちには平和な天国しかない。」これもインディアンの言葉だ。

彼らは臨終の瞬間まで、ポジティブに死後を信じ、飄々と死を受け入れた。対して我々の臨終は、ぞっとするほど暗く恐怖に満ちている。

先日の報道で、「チベットは中国に併合されて豊かになったのに、その恩も忘れ反抗する。」と、中国人がチベット人を口汚く非難していた。チベット人の多くは敬虔なラマ教徒だ。貧しいが来世を信じ、死後の世界にも希望を抱いている。私には、拝金主義の中国人よりチベット人の方が精神的に豊かに見える。それは中国人が本当の豊かさをまだ知らないからかもしれない。それに、中国人がもたらしたのは見せかけの豊かさで、目的はチベットの膨大な資源にある。

CatXx_2東京北社会保険病院下の茂みにて。
いつものニャンコが自分のテリトリーで日なたボッコをしていた。

緑道公園近くの公園。
棒杭のように切られた樹々。
内2本のイチョウは根元から切り倒されて、切り株にされてしまった。

公園の右半分だけ、日当りが悪いとか落ち葉が厄介だ、とかクレームが入ったのかもしれない。だからか、左半分は伐採を免れている。

都内の公園の樹々は、時折このような無茶苦茶な剪定をされてしまう。
人は自然を失って幸せに生きることはできないのに、この光景に日本人の心の貧しさを感じる。

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