誕生日は瞬時に過ぎて行ったが、風邪が回復したのは目出たい。11年1月16日
今日は66回目の誕生日だ。母がいない今年は覚えているのは私とパソコンだけだった。
朝から、ニフティからメッセージが各アドレス宛に次々と届いたが、自動送信の祝いではさほど嬉しくない。
「尾頭付きを用意しなくてはね。」
母が生きていれば、そう言ったはずだ。しかし、料理するのは私なので、いつもメザシやチリメンジャコの尾頭付きを食べていた。母はそんな私を楽しそうに眺めていた。今日も、郷里大堂津から送って来たメザシを焼いて祝った。タイよりメザシの方が美味い。
母が元気な頃、「今日は何の日だ。」と聞くと「天皇陛下の前立腺がん手術の記念日でしょう。」と、とぼけたことがあった。誕生日には忘れていたことを次々と思い出す。
先週12日水曜日、目覚めると喉と鼻の奥が痛かった。毎日、池袋へ出かけて汚れた空気にさらされたのが原因だ。私は風邪をひくと真っ先に喉と鼻に症状が出る。母の介護をしている頃は、徹底的に予防していたが最近気が緩んだようだ。
一旦症状が出ると、一通りの経過を辿らないと回復しない。まず、顔が熱っぽくなり、体の節々が痛み、くしゃみ、鼻水、咳に悩まされ、回復に向かう。静かに横になっていれば早く治るが、世話をしてくれる者がいない独り身では無理だ。結局、体を騙し騙し動いている。
今朝は鼻水が減って体が楽になっていた。散歩に出ても気怠さはない。このまま回復して行きそうな気配で安堵した。
上写真、桐ヶ丘体育館から緑道公園を見上げる。街灯の上に止まっているカラスが私を見ていた。風が冷たく、日影の氷がまったく溶けていない。この冬一番の寒さだ。
桐ヶ丘生協で、冷凍ブルーベリーをまとめ買いした。生協のブルーベーリーは品質が良く美味い。
帰りは2年ぶりに東京メガシティへ抜けた。写真は東京メガシティ前の空き地。以前、道を挟んで印刷工場があったが、広い空き地になっていた。こちらは買った埼玉の業者が特別養護老人ホームを建てる。
同じく東京メガシティ前の空き地。上写真と道路を挟んだ向かい。こちらは宅地になりそうだ。並んでいる建て売り住宅はいつの間にか建っていた。
ここだけでなく、わずか2年の間に、あちこちの住居が取り壊され空き地になっていた。東京は日本の中では元気な地域だが、それでも、空き家が次々と壊され、駐車場だらけに変わって行く。
上写真。住まい前の通路から北西方向、奥秩父の雲取山。遠い街並は和光、朝霞、新座方面。冷たい風が容赦なく吹き付けカメラを構えた体が揺れる。寒々と薄暗いがまだ午後2時。遠くは雪が舞い霞んでいた。
散歩途中、建物の影で風を避けているスズメたちを見つけた。
寒さで体を膨らませている。
「かわいいね。」とつぶやく母の声が耳元に蘇った。
ベランダから見えるスカイツリーは増々高くなった。
遠目で眺めると、最近、何となく観音様に見える。
昨夜は、風邪を早く治そうと、仕事は止めて夕食後は布団に入り、テレビを見ながらのんびり過ごした。
NHK、ワンダー・ワンダー「男と女 情熱のタンゴ」は見ごたえがあった。コンテストなので、若い人ばかりの情熱的な激しい動きだ。
激戦を制したのは日本人女性のディエゴ&チヅコ組だった。実に素晴らしい。
個人的には、コンテストにはいないが、初老の男性と30代女性の組み合わせの、情熱を秘めた静かな大人のタンゴが好きだ。
その後、あちこちチャンネルを変えながら過ごした。その中「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」の最期のシーンだけ見た。
キリストの聖杯で聖水を飲むと不死の体を得られる言い伝えを元にした、ナチスとインディが争ういつもの展開だ。
最後に、銃で撃たれたシヨーン・コネリー扮する父親をインディが聖水で助ける。しかし、本当に不死の体を得たら辛いだろう。
太陽は63億年後から膨張し始め地球は飲み込まれ、やがて大爆発してガス化する。その暗く寂しい宇宙空間でも永遠に生き続けていなければならないとしとたら生き地獄だ。
不老不死は言葉のたとえで、せいぜい150年くらいが、秦の始皇帝など歴史上の権力者が求めた不老不死の長さだろう。それでも、生きているのに飽きてしまいそうだ。もし後半を、寝たっきり同然で生きるとしたらかなり辛い。
毎夜、暗闇の中、熱っぽい体で眠りを待つ時間はかなり辛かった。孤独死はこんなものかと、薄ら寒くなった。しかし、今朝のように気持ちよく目覚めると、嫌な気分は雲散霧消してしまう。
昔、短編SFを書いた。・・・老いて死に瀕した私がいる。私が眠っている間に、遺伝子工学で再生された若い自分の肉体に意識と記憶が移転させられる。移転が終えると同時に老いた自分は死ぬ。目覚めた私は、傍らに横たわっている老いた自分の屍体を不思議そうに眺めて立ち去って行く。
他愛のない筋書きだが、それを繰り返せば不老不死を得られる。しかし、厳格には不老不死ではない。残された老いた自分は死の苦しみを味わうからだ。
自分が自分であるという確固とした意識が切れ目なく続いて、生きていると言える。しかし、自分である意識は残された屍体の心の中で尽きていて、生き続けているとは言えない。
明日は阪神大震災から16周年。あの日は朝まで「父は空母は大地」の原稿に手を入れ続けていた。
あの朝を境に、数多くの人の人生が狂ってしまった。母と死別した今、その辛さが我がことのように理解できる。
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