2010年大晦日から2011年正月へ。11年1月4日
大晦日は湯島天神の大祓に出かけた。
高崎線の上野行きは空いていた。ローカル電車特有の座席暖房が懐かしい。最近の都内の電車は内部全体の暖房が効いていて、座席の温かさを感じることが減った。
上野公園は静まり返り、歩いているのは外人ばかりだ。大祓の前に、不忍池へ下る途中の五条天神と花園稲荷にお詣りした。境内に茅の輪があったので、8の字にくぐっていると、中国人らしき女の子が楽しそうに私に続いた。漢字交じりの説明文を読んで幸せを願う意味は分かっているようだ。
くぐり終えると、片言の日本語で茅の輪をバックに撮ってくれとカメラを渡された。遠景にアップを交え数枚撮ると笑顔で礼を言った。
彼女は台湾からの一人旅だと話した。日本で正月を過ごすのは寂しくないか、と聞くと、台湾の正月は2月の春節がメインで、新暦にはこだわりがないと答えた。明るい元気な子で話していて楽しかったが、大祓まで間がなくそこで別れた。
不忍池の弁財天もお詣りは外人ばかりだ。日本人は鴨にパンクズをやっているホームレスのおじさんと私だけだった。
不忍池から池之端のホテル街を抜けた。2時間ご休憩3000〜2500円と20年前と変わらない。こんな場所までデフレの影響を受けているようだ。
大祓はまだ始まっていず、前説の若い宮司が靖国などの政治問題を延々と話していた。学問や詩歌の神を祭った優雅な神社に、武張った政治談義は似合わない。右左様々な考えの参拝客が集まっている神聖な場だ。話したいなら他の場でしてほしい。
小1時間で大祓は終わり、御徒町へ向かった。
アメ横は大混雑で前へ進めない。甘エビ1キロ1000円のかけ声に引かれ、人をかき分けて冷凍物を1箱買った。少し行くと2箱1500円のかけ声。早まって250円の損をした。
8時前に帰宅。買った甘えびは程よく冷凍が溶けていて、頭をちぎり身は小分けして冷凍した。
頭は七味唐辛子と砂糖醤油で炒め煮して、良くダシを切って唐揚げにした。
唐揚げのコツは、頭の量の半量程油を入れてから熱を入れ、ヘラで軽くひっくり返しながら時間をかけて揚げると油がはじけず周りを汚さない。
頭はびっしり身が詰まっていてサクサクして美味く、食べ始めると止まらない。多くの人はこの美味しい頭を捨てているが実にもったいない。簡単なのでぜひ試して欲しい。
その後、お屠蘇セットを出した。今日こそは母のことを思い出さないように決めていた。しかし、セットを見ると元気だった去年の正月を思い出し寂しくなった。
元旦は雑煮を食べお屠蘇を飲んで初詣に出たが、地元の御諏訪神社と八幡神社は長蛇の列で諦め、小さな社二つだけにした。
2日、八幡神社に初詣した。
去年は1月3日、山の上の八幡神社境内まで母の車椅子を押し上げて初詣させた。
「今年は死ぬかもしれない。」
その時、母がポツリと言った言葉を思い出した。いつもなら「死んだりはしないよ。」と軽く否定するが何も答えられなかった。
3日に姉が来たので、九州から送って来た魚と、小分けした冷凍甘エビを渡した。
姉は「静かだね。」と言って帰った。言葉の裏に寂しさが滲んでいた。
母がいた頃は笑いが絶えなかった。去年の正月も、母は弱っていたのに明るく冗談を言っていた。この静けさに早く慣れなくてはと思った。
今年の正月三が日は赤羽で過ごした。
母の介護をしている頃でも、1回くらいは電車で出かけていたので珍しい。
1月4日の新河岸川下流方向。
住まいから右手に遠くスカイツリー。
東京北社会保険病院下の公園のネコ。
この子のテリトリーなので、いつもこの辺りにいる。
4日にお屠蘇は空になった。セットは洗ってすぐにしまった。
来年はどうなっているのだろうか。
明るく、セットを取り出せることを心から願った。
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