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2011年1月 7日 (金)

NHK・ローカル線の旅-宮崎JR日南線に見入った。11年1月7日

昨夜はNHKの「クイズでGo!ローカル線の旅~宮崎・JR日南線」を見た。日南線大堂津は子供時代を過ごした漁師町で見逃せなかった。

太平洋に北から、猪崎鼻、七ツ八重、大島、虚空蔵島と並ぶ大堂津の絶景に出演者たちは感嘆していた。しかし、地元の高校生たちははしゃいでいる出演者を不思議そうに眺めていた。どんなに風光明媚の地でも、住んでいると気がつかないものだ。私も、他所へ出てから始めて郷里の美しさに気づいた。

海も山も昔のままに美しかったが、建物も街並も激変し、大堂津駅の古い駅舎に微かに面影が残っているだけだった。
60年近い昔、駅の右手に駅員の官舎と日通の事務所があったが空き地になっていた。
今は乗降客が日に50人ほどの無人駅だが、当時は駅員が4,5人いる活気のある駅だった。ホームの一角では日通の作業員が荒縄で海産物の梱包出荷作業をしていた。
今は物流も人の移動も車に代わり、鉄道は寂れてしまった。当時の駅は子供たちの遊び場で、今より本数の多かった列車の機関車を見物していた。乗降客も今の10倍は多く、待合室には年寄りが暇つぶしに集まっていた。

終戦直後、私たちが戦災を受けた北九州から引っ越して来たのは、母が当地の知人に「米以外なら、魚も野菜も有り余っているから。」と誘われたからだ。実際、魚は捨てる程取れ、日常的に高級魚介類をふんだんに食べていた。

番組中で「魚どん」と呼ばれるトビウオのすり身でだけで作られたうどんを紹介していた。発案されたのは戦時中の食糧難のころで、小麦粉が手に入らないのですり身だけで作られた。
しかし、貧しい食事とされ、私が子供の頃は食べていなかった。それを漁協の婦人部が復活させ名物にしたものだ。当地の名物にさつま揚げの飫肥天がある。昔、飫肥天は豆腐の混ぜ物が多いほど高級とされていた。小麦粉や豆腐より魚は安く、他所とは逆の現象が起きていたようだ。

毎日、白甘鯛を食べている。京都ではグジと呼ぶ高級魚で、大堂津の知人が正月用に大物を2本、送ってくれたものだ。40年前、知人を訪ねた時、エビが好きだと言ったら、朝昼晩、山盛りに伊勢エビを出されてうんざりし、しばらく見るのも嫌になったことがあった。

戦前、隣の油津は本マグロの水揚げ日本一の地だった。しかし、地元民は下魚として口にしなかった。母が戦前、大堂津に遊びに行った時、漁師が巨大な本マグロを足で示しながら、「こんな、油っぽい魚を都会では食うらしい。」と軽蔑していたとよく話していた。

私が始めてマグロを食べたのは上京してからだ。だから、今でも少し偏見が残っていてマグロは食べない。しかし、イワシはよく食べる。いつも冷凍庫には大堂津から送って来たメザシがある。堅く干し上げた小ぶりのメザシをさっと炙ると実に美味い。

昔の大堂津は漁師町だったが、知人の話では沿岸漁業が寂れ今はほとんど漁師はいないようだ。

今日は七草。トントンと刻んで雑穀米に入れ粥を作った。食べながら、去年、七草粥を美味しそうに食べていた母を思い出した。年頭に母の事は思い出さないように決めたが、何かをきっかけに溢れるように思い出してしまう。

朝食後、散髪へ行った。私は散髪前に必ず髭を剃る。
「床屋さんで剃ってもらえば良いのに。」
剃っていると、いつも脇からちゃかしていた母の声が蘇った。
「剃って行くのが粋なんだ。」
言い返すと、「バカだね。」と母は笑っていた。思い出すのはそのような明るい母の姿ばかりだ。

地デジは普及率が90%を越えたようだ。アナログ画面の下の「7月でアナログから地デジに移行します。」のテロップが煩い。
そんなこともあり、先日池袋ヤマダ電機へカメラ部品を買いに行った時、6500円の地デジチューナーを衝動買いしてしまった。アナログテレビに繋ぐとノイズがなくすっきり綺麗に写った。

Aka

赤羽台風景。最近、東京の空が美しい。
桜並木の終わり辺りの、この坂上の白い家を見上げるのが好きだ。空を見上げていると、沈みがちな気分が癒され励まされる。

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今朝はこの冬一番の寒さで、散歩道は氷結していたが、白梅が満開になった。

水仙も満開だ。すでに春は近い。

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