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2011年2月15日 (火)

青空と残り雪、知人の危篤を知らされた後、苦い義理チョコを食べた。11年2月15日

雪が降るの前に「幸せの木」を部屋に入れた。
「幸せの木」はブログに何度も登場する30数年前に貰ったものだ。正式名は知らないが、「幸せの木」の名を気に入っている。貰った時は掌にすっぽり収まるほど小さかったのに、今は五本に分けつして、高さは80センチほどに成長した。しかし、1月の厳しい寒さで全体が黄ばみ弱ってしまった。今まで特別なことがないと部屋に入れなかったが、どうしても元気になってほしかった。

Ax右写真は去年秋の元気なころの「幸せの木」。

暖かい窓辺で「幸せの木」は気のせいか、緑色が濃くなったような気がした。
「頑張れよ。」
声をかけると、心なし葉をふるわせて答えているように見える。そうなると、家族のようでとても可愛くなった。

昨夜の雪は日射しで溶けてしまった。風はなく、上着なしで歩いても寒くない。
上野歯科医院へ行って、虫歯になりそうな二カ所を予防的に補填してもらった。これで治療はとりあえず終わり、次回の噛み合わせ調整でメンテナンスは終わりそうだ。

日射しが心地良いので、近くの赤羽自然観察公園へ行った。
前回行った去年の秋より手入れが進み、知らない公園のように見えた。樹木は剪定され、下草は芝生のように刈り込まれ、ますます自然観察にはほど遠くなった。
「つまらないから、早く帰ろうよ。」
心の中で、母が言ったような気がした。母も私も以前の野趣豊かな自然公園が好きだった。喪失感を覚えながら早々に公園を後にした。

赤羽駅前に出て、漢方薬店でウチダの人参末500g一万円を買った。動脈硬化防止に1日5g服用する。完璧に防ぐことはできないが安らぎにはなる。

冷蔵庫の野菜が減って来たので補充し、帰り道の師団坂を上った。坂上には星美学園がある。付属小学校の子供たちがゾロゾロ下りて来るのを、立ち止まってやり過ごしていると携帯が鳴った。携帯は2ヶ月に一度くらいしかかかって来ない。呼び出し音を何の音だろうとぼんやり聞いている内に、やっと携帯が鳴っていると気づいて慌ててバックから取り出した。
「母親が危篤みたいなので、これから病院に行く。」
版画の菊池氏からだった。
彼の母親は兄さんと同居している。先日、電話で聞いた時は、食欲も回復して安心していた。
それは突然の激変で救急車での緊急入院だった。症状を聞くと肺炎を起こしているようだ。高齢者の肺炎は大変危険だ。病院の内科医4人が同じ診断をしているので、本当に危ないのかもしれない。

「もしものことがあったら、お母さんは最後の一瞬まで聴力はしっかりしているから、ありがとうをしっかり伝えないと後悔する。万一の時も、あれこれ反省したり後悔しない方がいい。」
旅だって逝く方への接し方を話した。

それらの言葉は、母を看取った私自身の反省から来ていた。
母の息が止まる時、どうしても声が出ず、「ありがとう。」を私は伝えられなかった。
入院させずに私ひとりで看取ったこと。それで良かったのか、半年以上、反省し後悔し続けたからだ。

東京北社会保険病院の庭のベンチに腰かけ、義理チョコを食べた。最近、血糖値を考慮して甘いものを避けていたので、とても美味しかったが、ほろ苦くもあった。
去年から、母を始め数多くの知人が逝った。訃報に接する都度、母の死を思い出して辛くなる。訃報は何度経験しても慣れないことだ。

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住まいから、川口方面を撮る。
風は意外に冷たくない。母の死は昨日のことのように思っていたのに、すぐに一周忌はやって来る。

Yuki1_2Yuki2御諏訪神社の狛犬。
頭の雪がベレー帽のように可愛い。

東京北社会保険病院の庭の残雪。
この風景を眺めながら義理チョコを食べた。

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