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2011年3月16日 (水)

福島第1原発事故原因は地震ではなく津波だった。関連ニュースは音を止めて見ている。11年3月16日

猛烈な北西風。風圧でドアが重く全身の力をかけて開けた。
外は黄砂で霞んでいた。例年なら春の風物詩だが今回は違う。福島原発事故現場の白煙とイメージが重なり、風情は感じなかった。

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東電の発表は意味不明で分かりにくい。それらを総合して、ようやく分かったのは、事故原因は津波による施設の破損だった。
今回の揺れに対して、緊急停止装置は正常に働いた。しかし、地震直後に襲来した大津波によって発電施設、電気系統、発電用デーゼルエンジンの燃料タンクなどが根こそぎ破壊され、安全システムが全て壊れてしまった。今回の事故原因は地震ではなく津波にある。地震前の写真を見ると、海に面して配管や発電施設が剥き出しになっている。これでは大津波がくればひとたまりもない。もし、設計者が過去の津波を考察して要塞並みの防護壁か、重要施設を気密性のある隔壁で覆っていたら、大部分は防げた事故であった。同じ地域にある新しい福島第2と女川の原発は無傷で残ったのは発電施設が隔壁で守られていたからだ。

今回のもう一つの事故原因は、福島第一が40年前の日本初期の原発で地震国ではない米国GEの設計で作られたことだ。最新の原発では、たとえ周辺設備が破壊され、電源が失われ冷却システムが動かなくても、最低限の安全を保つ構造になっている。

原発は基本的には地震などの災害時には炉心を冷却水で一杯に満たすことになっている。しかし、そうすると再開に時間がかかるので、あえて満水にしないように設定してあった。東電の対応マニアルは安全よりも遅滞ない電力供給にあった。その結果、初期段階で廃炉も視野に入れた完璧な安全策を取れなかった。だから応急措置として海水を注入し始めた時は既に遅く、燃料棒は露出してメルトダウンを起こし、水と反応して水素ガスを発生し、配管などの弛みから漏れ出た水素が爆発して建屋の大損傷を招いた。

事故原因は「NHK、原発危機、事故はなぜ深刻化したのか。」に詳しい。

これからの対応は様々な方法が考えられている。その一つとして、たとえば、損傷の激しい建屋を強固に作りなおし、格納容器から漏れ出た高レベル汚染水を冷却して送り返して炉心を冷却する方法がある。いわば、使用済み燃料プール同様のものを、格納容器を包み込むようにもう一つ作ることだ。更に汚染水処理設備を併設し、基準値内に汚染物を取り除いた水は冷却水として再循環させる。そして炉心が十分に冷却されたら、燃料を取り出し安定化を図ることができる。

報道されていないが、すでに各メーカーが廃炉へ必要な放射線防御が施されたロボット器具の開発を進めている。おそらく、早い段階で日本のハイテク器具が次々と登場して、想定されているより早く解決へ向かうただろう。

それにしても一部マスコミや活動家たちは社会不安を増幅させる情報ばかり流している。彼らは海外逃避しか生き残るすべはないと言っているが、踏みとどまる他ない一般国民に対して無責任極まりない。私は米ソ冷戦時代に育った世代で、核実験に汚染された空気をたっぷり吸って汚染食物を食べて来た。当時の放射線値は今の1万倍も強かった。当時は核実験によって大量にばらまかれた放射性ストロンチウムの恐ろしさを子供でも知っていた。それでも我々が特別ガン発症率が高い訳ではない。

放射性ストロンチウムは骨に沈着し易く、生涯体内を被爆させる。幸い、今回の汚染物にストロンチウムはごく微量しか含まれていない。見つかる殆どは米ソ中仏英の核実験の残滓だ。

今回の主要な汚染物質放射性ヨウ素は半減期8日と短くすぐにキセノンガスに変わって雲散霧消する。放射性セシウムは体内に留まりにくく、2,3ヶ月で体内から殆ど総て排出されてしまう。土中のセシウムは表面に強固に留まり深く浸透しにくい。高レベル汚染した校庭等の表面2〜10センチの土を除去すれば放射線値は激減する。

チェルノブイリ事故後疫学調査でも、セシウムによる発ガンは確認されていない。子供に甲状腺がんが多発したのは、放射性ヨウ素に汚染された牛乳を飲ませ続けた、ソヴィエト時代の特殊な事情によるものだ。

平常時にマスコミが危険を強調する姿勢は理解できる。しかし、今は国民を奮い立たせる希望が必要な非常時だ。今も命がけで現場で働いている人たちがいる。国民は僅かなリスクは共有し甘受すべきで、事実以上に不安を増幅させる動きは残念でならない。今、多くの人が知りたいのは、恐怖でも楽観でもなく、冷静な分析とこれからの行方だ。

事故の今後の推移は、先に述べたように水で冷やし続けることで必ず終息する。メルトダウンから臨界を起こして大爆発し、日本列島が汚染される、と無責任な噂を垂れ流すマスコミや活動家がいるが、それは軽水炉の構造を知らない無知によるものだ。圧力容器内に水がある限り臨界は絶対に起きない。
それにしても、頑丈な隔壁での津波対策も水での冷却も、いずれもローテクだった。今回の原発事故はハイテク重視の設計者の過信が生んだ事故であったようだ。

今回は日本史上最大の大津波だった。被災地の田老町には昔行ったことがある。その時、高さ10メートル、長さ2.5キロの万里の長城のように立派な堤防で囲まれているのに驚いた。
田老町は明治時代に襲来した巨大津波によって町民の8割を失った。その教訓で作られた防潮堤で、国際的評価も高い。しかし、今回の巨大津波はいとも簡単に乗り越え、町全体を破壊してしまった。
同じように過去に津波被害を受けている宮古港は、深い海底から80メートルの高さに作られた世界一の防波堤が設けられていた。しかし、その頑強な防波堤すら、バラバラに破壊されてしまった。

防災上は今回の巨大津波でも防げる堤防が必要だ。しかし、全海岸線にそれを作るには国家予算程の建築費がかかる。現実的には津波に襲われても人命を失わないシステム作りが大切なようだ。

Jj_2Jj_3_2Jj_4近所のガソリンスタンド近くで見た光景。
スタンド従業員が手にした看板に「ガソリンは終了です。」と書かれている。
計画停電の影響で電車が止まり、乗用車が増えたのが燃料不足を招いている一因だ。環八の交通量はいつもの2倍近くに感じる。

東京北社会保険病院の庭でオオイヌノフグリの可愛い花を見つけた。

同じ病院庭の白モクレン。太く上向きに咲いているのが、辛夷との違い。日本在来種の辛夷は花は華奢で、花の方向は自由自在だ。白モクレンとの大きな違いは、辛夷は花の首の辺りに緑色の小さな葉が付いていることだ。

この花の近くのベンチで休んだ。
日射しが暖かく、ちょっとし居眠りしている間に母の夢を見た。
「食べ物は持って来たの。」ベンチの横に止めた車椅子の母に聞いた。母は笑顔で「あるよ。」と上着のポケットをトントンと叩いた。「良かったね。」と答えたところで目が覚めた。
母が元気な頃、そのベンチでよく休んだ。今と比べ、あの頃は平和だったとしみじみと思った。

今は町へ出ると人の顔も店内も暗い。食品棚から、卵、肉、魚、インスタントラーメンなどが払底し、まるで戦時中みたいだ。東京は被災地ではないのだから、冷静な対応をして欲しい。

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