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2011年4月20日 (水)

福島第一原発事故の解決の道筋が見えて来た。11年4月20日

東日本大震災と福島第一原発事故に対し、管内閣の対応は稚拙だった。しかし、原発事故に関しては、自民党政権であっても似たようなものだ。何故なら、大災害時のマニュアルは始めから用意してなかったからだ。

今回の大事故はそれを予見する警告を幾度となく無視したことにある。そのような状況を作ったのは自民党清和会系議員と関係官僚と電力会社だった。族議員と関係官僚たちは砂糖に群がる蟻のように原発を食い物にし、安全を疎かにして来た。危険性を検討することは原発推進の障害になるとタブー視されていたからだ。今、やっと原発推進者たちはそのことについて語り始めている。その中で一番印象に残ったのは、原発推進のため、火力発電より原則低コストにしなければならなかったことだ。当時の関係者たちの国家滅亡に至りかねないコスト意識には愕然とする。

日本は強いリーダーの命令のもと動く国家ではない。末端に無数の有能な人材がいて、トプップは何もしなくても上手く動いて行く。しかし、肝心のシステムがいい加減では的確な対応は難しい。殊に原発事故のような大事故では、マニュアル無しで現場が適切に動ける訳がない。

海外メデアは日本人は政府に従順だから混乱が起きなかったと言っているがそれは違う。日本国民は大らかで太っ腹な指導者が好きで、強い指導者を望んでいない。国民は村単位で自立していて、トップが無能でも混乱なく秩序は維持される。管内閣の問題点は無能だからではなく、無能さを自覚していなかったからだ。そのために見当違いの指示が乱発され官邸は機能不全に陥り混乱を招いた。もし、無能さを自覚して、下部組織に任せていたら混乱は起きなかった。

今回の原発事故による国際的風評被害に対して、外務官僚の動きがまったく見えなかった。指示がなかったから、では言い訳にならない。日頃、官僚を高給で養っているのは非常時に働いてもらうためだ。彼らは国際問題を予見して本気で官邸に上げることに真剣ではなかった。

放射線値に関し、今は必要な情報は誰でも手に入る。汚染地図については米軍は上空から観測した詳細な分布図を持っているが、情報収集能力を隠す為に一般には公表されていない。年間被爆量を参考に記すと、イタリーとイギリス2.2ミリシーベルト/年。対して東京は1.5ミリシーベルト/年。東京の数値は今も変わらず、メディアに倣えば、「危険なロンドンとローマの住民は安全な東京へ避難すべきだ。」となる。ちなみに年間被爆の限度値は20ミリシーベルト/年。

週刊ポスト2011年4月8日号掲載の世界の平均自然放射線被曝量では、ブラジル(ガラパリ)10ミリシーベルト/年。インド(ケララ)5〜10ミリシーベルト/年。中国(陽江)6ミリシーベルト/年。アメリカ(デンバー)4ミリシーベルト/年。と上には上がある。しかし、それらの地域から即刻退避とか、産品の輸入禁止措置とか聞かない。その事実からも風評のいいかげんさが分かる。

今回の大災害は第二の敗戦と言って良い。日本は災害列島で、洪水、地震、火山爆発と大災害の見本市みたいな国土だが、幾度破壊されても必ず復興して来た。この大災害をきっかけに日本は良い方向に変化しそうだ。たとえば節電意識は一気に進み、LED照明が一気に普及する。クールビズも対応衣服が次々開発され店頭に並び始めた。人の繋がりも暖かく変わり、これをきっかけに無縁社会が解消へ向かうかもしれない。首都機能の地方移転に先立って民間企業の本社移転が進みはじめている。これで地方都市の衰退に歯止めがかかりそうだ。

原発事故の終息への道筋が見えて来た。6月に高レベル汚染水の処理施設がフランスの核燃料会社アレバ社によって完成し、冷却水の循環システムが成立する。それでも溢れた高レベル汚染水は鋼鉄と鉛で作られたタンクに一時的に溜められる。そのために、大量の専用タンクが米国から移送する準備が整っている。フランスも米国も、福島第一事故の終息が国益に繋がり、出費を厭わず協力する覚悟だ。原子炉建屋内の冷却設備の回復は難しいが、外部に付設する冷却システム建設は内外協力して成功させるだろう。

それでも放射線は厄介で、完璧な防護服を作ると100キロを越える。そこで、人の代わりになるロボットやロボットスーツが必要になる。今、日本メーカーはそれらを猛然と開発している。福島第一はそれらのハイテク製品の世界初の試験場になりそうだ。不安要素は、マグニチュード8クラスの余震だが、震源は余震の震源域の外側で起きる可能性が大きく、福島第一への影響は小さいだろう。ただし、南部の内陸部で起きたら首都圏は危ない。それは10年くらいは起きないで欲しいと願っている。

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稲付城趾の桜。近くに漢方薬店があり、買い物帰りに撮った。
去年の桜の頃、この写真の辺りで母の写真を撮った。それから3ヶ月後に死ぬとは夢にも思っていなかった。今も、終末が近づいた6時辺りから哀しみが蘇る。しかし、大津波で死んだ人たちと比べたら、自宅で私に看取られて死んだ母はとても幸せだった。

T_3_2T_4_2T_5T_7_2稲付城趾の石段にいたネコ。近づいても逃げない。

人懐っこい子だと思っていたら、近くに餌を持って来たおじいさんがいた。

緑道公園のカリンの花。去年より花の数が多い。去年は不作だったが今年は豊作になりそうだ。一昨年、ここのカリンで作ったジャムで母は咳が少なくて助かった。

東京北社会保険病院庭のスミレ。去年より花は少ないが色合いは美しい。

東京北社会保険病院の石畳に咲いていた外来種の花。

今日は朝から冷たい。夕暮れには冷たい風が吹き始めた。
写真は新河岸川上流。

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