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2011年4月 8日 (金)

夕風に人影絶えてニラの花。11年4月8日

昨夜の強い余震の後、寝付けないまま、千年以上昔の貞観三陸地震のことを考えていた。
貞観三陸地震-M 8.3〜8.6は869年7月9日は、今回の東日本大震災M9.0に匹敵する。それから9年後の878年10月28日 相模・武蔵地震-M 7.4が起きた。更に8年後の887年8月26日 仁和南海地震-M 8.0〜8.5に東南海・東海地震が連動し東海から紀伊半島にかけて巨大津波が襲った。

その時を今回にあてはめると、17年後の2028年に東海東南海地震が起きることになる。過去と同じ経過を辿ることはあり得ないが、東南海東海地震と関東の直下型地震の30年以内説は何となく当たっている気がする。今回の震源域の海底は観測史上例のない50メートル以上も動いた。この大地殻変動のひずみは日本列島全域に及んでいる。地震学者によると、日本列島は16年前の阪神大震災あたりからすでに地震多発期に入っている。これから起きる地震の位置と時間列は不気味な前兆を示すもので注視が必要かもしれない。

私の寿命はこれから起きる大地震の前に尽きるはずだ。しかし、それへ至る不安だらけの老後は逃れようがない。私と比べると、去年死んだ母の老後は実に穏やかだった。厳しい戦中戦後をしのいだ後は、右肩上がりの高度成長期に医療費無料と、私に介護された豊かな老後を享受できた。今回の大災害の一端を経験してから、穏やかな去年に母が逝ってくれて良かったと心から思っている。

朝、地震による寝不足で二度寝すると、母の車椅子を押している夢を見た。母と楽しく昔話をしながら押していると、突然母が黙り込んだ。死ぬかもしれないと思って急いで帰宅しベットへ連れて行くと、母はバタンと音を立ててベットに横になった。目覚めた後、夢は「限界までしっかり生きたよ。」との母からのメッセージだったのではと思った。

今年の桜は例年より白く乾いているように見える。世の中を明るくするために花見をして楽しみたいと思っているが、心底楽しめない。そのような気分が世の中にも横溢しているのか、東京北社会保険病院下の花見客はいつもの半分以下だった。

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桐ヶ丘体育館脇の桜。
この坂を下って桐ヶ丘生協へ向かっていると顔見知りのおばあさんに会った。母の散歩をさせている頃、彼女の家の前を通ると、「持って行け。」と、庭のたらの芽や柿などをくれた。下町育ちで口は悪いが気持ちのさっぱりした元気な人だった。

「だんなさん、元気そうだね。」と、彼女の昔風の言い回しが照れくさかったが、少し言葉を交わして「気を付けてね。」と別れた。彼女の後ろ姿が更に老いたような気がした。

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先日まで、生協の豆乳が切れていた。今日は山積みになっていたので1リットルパックを4個買った。

帰りは桐ヶ丘都営団地を抜けた。石垣が島のように見えるこの場所で毎年母の写真を撮っていた。相変わらず、死別の喪失感がいつも心の何処かにある。しかし、年の順に死が訪れるのは良いことだ。母は父違いの繁兄、両親同じの裕子姉と子供二人に先立たれ、とても辛い思いをした。

去年の今頃は母の介護で疲労困憊し、5月1日に私は胆嚢炎を起こして緊急手術をした。その時、緊急措置として母を入院させたが、十分な介護を受けられずに母は寿命を縮めてしまった。死別してから9ヶ月、そのことをいつも悔いていた。しかし今は、総ては運命として受け入れている。私の歳になると残された時間は短くて貴重だ。無駄にしないように充実した人生を送りたいと思っている。

S_1_2脇道にニラの花が咲いていた。
夕暮れになると何となく風が冷たくなった。

夕風に人影絶えてニラの花

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