原発海水注入に関する東電の不可解な行動は100対0の負け試合の敗戦処理だったからだ。11年5月28日
海水注入の頃はすでに原発は大破した後で、野球9回裏の100対0の負け試合の敗戦処理みたいなものだった。その心情は班目保安委員を始め、事故の真実を知る大部分の専門家たちはみな同じだっただろう。もし、まだ防ぐことができる事故の始まりだったなら、
「海水注入による再臨界は0ではないが、ほとんどありえない。」などと、班目保安委員は曖昧な言い方はしない。
「海水注入は持続し、絶対に止めてはならない。」と管総理に強く上申したはずだ。
あの当時、政府と野党とマスコミと私を含めた大部分の国民は、まだ海水注入で災害を起こさずに済むと信じていた。しかし、実際は既に大量の放射性物質が拡散してしまった事故後で、あの時点でできることは、終息への方法を模索するだけだった。
事故現場の東電吉田所長が敢えて独断専行し結果を報告しなかったのは、気休めの敗戦処理と分かっていたからだ。止めた止めないの報告に対し東電本部に真剣味がなかったのも同じ気分からだろう。それは火事で全焼したあと、焼け木杭が再燃しないように水をかけ続けているのと同じだったからだ。
今回の事故でメルトダウンの意味が本当に分かって来た。以前は地球が滅亡する程の大変なことと思っていたが、単なる終結への過程の事象に過ぎないようだ。
最新のフランス原発では緊急時は積極的にメルトダウンを起こさせ、溶けた核燃料をプールの水中に排出させて冷温停止へ持ち込むシステムになっている。今回の福島第一の原発事故でも、海水注入を止めて、敢えてメルトダウンを起こさせ、圧力容器から溶融した核燃料をポタポタと格納容器の水中に落して、冷温停止させる方法を一部の原発専門家は考えている。当然、そのような過激な方法は実行できないが。
最近、グリンピース等の活動家たちが高レベル汚染地域や海洋生物を探して出しては公表している。科学的に片寄りなく公表するのならとても良いことだ。しかし、いずれも一般人が口にしたり、入り込めない地域のもので、逃げようがない解決策のないその手の発表は脅しに近い。彼らの真意は社会にパニックを起こさせて、自分たちの存在意義を見せつけようとしているとしか思えない。
放射線被爆の疫学的な安全域は今もって分からない。何故なら、低レベル被爆でのガンの人口あたりの発症率は千から百分の1%ほどの違いしかなく、その原因要素を特定するのが難しいからだ。
昭和30年代の米ソ核実験が盛んな頃の放射性セシウムとストロンチウムの量は、今と比べ、少なくて100倍から希に1万倍を越す地域があった。一般の食物も今の基準では廃棄される高レベルの汚染をしていた。当時の世界の子供たちは外部内部共に大変な放射線被爆を受けた訳だが、実験地域とその周辺を除けばガンは多発していない。ちなみに今日の朝日新聞の発表では東京新宿が0.0608マイクロシーベルト/毎時。その100倍は6マイクロシーベルト/毎時で福島第一近くの避難地域と同じだ。グリーンピースなどの活動家たちの警告が正しいなら、我々の世代はとっくに死滅していることになる。
何度も書いたが、世界には自然放射線が年間10ミリシーベルトの地域は多くあり、他と比べその地域の子供にガンは多発していないと分かっている。その経験から、10ミリシーベルト以下の被爆なら子供の健康は守られると考えられている。今回、文科省が学校敷地での被爆を1ミリシーベルト以下に抑え、学校以外の被爆量を加えて年間積算9.9ミリシーヘルト以下にした根拠はそこにあるのだろう。
昨日から梅雨入り。見事に当たり今日も雨だ。この住まいからの雨景色は心に深く染み入る。
震災と原発事故以来、日本人の心情が大きく変化したように感じる。若者たちが自分の言葉で考え、人のことを思いやるようになった。今回は大変な災いを被ったが、長い目で見れば、日本は良く変わるような気がする。実際、若者たちへのアンケートでも以前より日本の未来に希望を持つ者が増えている。
午後から買い物へ出た。エレベーターホールでよく会う中年女性が挨拶した。
「娘に女の子が生まれて、これから会いに行くとこなの。」
今日はいつもと違って彼女は嬉しそうに話しかけた。よほど、誰かに話したかったようだ。
「それはおめでとうございます。子供が増えるのは楽しいですね。」
私は心から祝福した。
彼女と別れてから、私は階段を下りた。最近、膝の筋肉が痛い。明日からは下りだけエレベーターを使おうと思っている。そのように老いは徐々に進んで、やがて階段は使えなくなるのかもしれない。
桐ヶ丘生協で豆乳を買った。
帰り都営桐ヶ丘団地を抜けるとツルバラが満開だった。
北中学校裏の石垣。
母はこの苔の色が大好きだった。
去年の30度を越した今頃、この石垣にもたれて母とかき氷の宇治金時を食べた。
弱っていた母は一口しか食べられなかったが、「とても美味しい。」と笑顔で言っていた。
そのように、私は逝ってしまった者たちからなかなか解放されない。
しかし、家族が増えて行く者はそれで失った哀しみが癒されているのだろう。
最近、家族を持つ意味がとてもよく分かるようになった。
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