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2011年5月12日 (木)

四季劇場秋で「夢から覚めた夢」を観た後、船でお台場へ行った。11年5月12日

母の介護前、よく劇団四季から招待されていた。しかし、9年前に介護が始まってからは行けなくなり、断っている内に招待は来なくなった。だから、11日の赤川次郎原作の「夢から覚めた夢」への招待は久しぶりだった。

竹芝の四季劇場は以前はなかったので始めて行く。浜松町で下車し、何となく南口から出ると、劇場へは遠回りだった。東京ガスビルへの連絡通路から芝離宮を迂回し、開演直前に着いた。劇場のあちこちで開演まで、ピエロや曲芸師がパフォーマンスをしていて観客を退屈させない。ディズニーランドのような楽しさがあり、とても良い趣向だ。招待席は中央の一番良い一人席だった。多分、急にキャンセルがあり、一人席は埋まりにくいので穴埋めに私が招待されたのだろう。

あらすじ--少女ピコは夜の遊園地で交通事故で死んだ少女マコの幽霊に出会った。優しいピコは少しの間、マコを失って哀しんでいる母親のために、マコに自分の命を貸して再会させてあげた。物語はあの世とこの世の境で楽しさに物悲しさを交えながら繰り広げられた--

死者と残された遺族との再会。これは親しい人と死別した人なら、誰もが抱いたことがある願いだ。私自身も、去年死別した母ともう一度会って話したいと思っている。終末期の母は何度も何度も「ありがとう。」を言って逝ってしまったが、私は最期まで母に優しい言葉をかけられなかった。一生懸命介護していたので、言葉にしなくても母は分かってくれていると思っていたからだ。しかし、死別してから、優しい言葉をかけてあげれば良かったと、幾度となく後悔した。舞台を観ながら、たえず母のことを思い出してホロリとした。

ミュージカルの後、劇場隣の雨の竹芝桟橋で係留されている客船を眺めた。ここから小笠原や伊豆諸島への定期船が出ている。その後、日の出桟橋へ行った。お台場行きの出航まで30分ほどある。雨は強く待合室は私だけだ。熱いコーヒーを飲みながらぼんやりしていると版画家の菊池氏から電話があった。別段、用件がある訳ではなく、何となく雑談かをしているうちにお台場行きが到着した。

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ガラスの建物は晴海客船ターミナル。世界の豪華客船が到着する東京のターミナル。ここへ行く定期船があるので次回は是非行ってみたい。雨に煙ったこの都会風景は何度眺めても感動する。右手の橋は豊洲と晴海を繋ぐ。

D_1乗船客は私と、後から来たこの外人の4人組だけだった。

雨の中、私はデッキへ出て夢中で写真を撮った。

少し肌寒いが海風が心地良かった。

お台場の砲台跡は自然木が鬱蒼と茂っていた。

江戸末期、お台場は半年程で建設された。
人力しかない時代に、短期間で完成させた当時の土木技術水準の高さに驚く。

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お台場の船着き場。

お台場のアクアシティは閑散としていた。空腹を覚えたので、歩きながら持参したクラッカーを食べた。震災以来、バックにはいつもお茶とクッキーが入れてある。もし、電車が止まっても、それで赤羽まで歩いて帰るつもりだ。

D_2D_3お台場の船着き場の海辺には牡蠣が大繁殖していた。お台場が開発された当時と比べると、海水は段違いに透明になっていた。

海沿いの遊歩道を歩いていると甘い香りが漂って来た。何処だろうと探すと、オリーブの花が咲いていた。オリーブはモクセイ科なので、金木犀と似た香りがする。雨と冷気で、香りが強くなっていたようだ。寂しいお台場には長居せず、まっすぐお台場海浜公園駅へ向かった。

夕暮れの帰宅時間に重なりユリカモメは満員だった。新橋の姉が働いている小料理屋に寄って、白菊会の合同慰霊祭の案内状を渡した。今月末に、これまで1年間に献体されたされた合同慰霊祭が日医大で行われる。姉と出席して、母の一周忌法要の代わりにするつもりだ。

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