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2011年5月23日 (月)

日医大での白菊会の法要の後、パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉を銀座で見た。11年5月23日

21日は去年5月から今年4月までに死去し、献体した白菊会会員の法要へ出かけた。出かけにのんびりし過ぎて遅刻を覚悟したが、エレベーターも信号も電車も、どれもロスなくスムースに繋がり、法要開始の5分前に到着した。いつも不思議に思うのだが、それは母が助けてくれたように思えてならない。

日医大は千駄木にある。法要は2時から始まり3時に終わった。その1時間は老いた遺族には少し長いかもしれない。30年前の父の時はお寺での仏式で、禅宗の赤ら顔の高僧が参列者の前で読経した。参列した母と私は、読経のありがたさより、高僧の不摂生が気になってならなかった。

今回は無宗教で、祭壇に遺族が菊花を捧げて終わった。そのあたりは、以前より改革が進んだのだろう。母の遺体を引き取りに来た助教授の方たちと少し話して会場を出た。参列した姉に、持参したオリーブ油や健康食品を渡し、根津神社前で別れた。

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根津神社は始めて参拝する。ツツジで有名な神社だが、花期は終わり新緑が美しかった。神社の後、大きな古いお茶屋に寄った。客は少ないようで店番はいなかった。何度か呼ぶと、やっと70代の女主人が現われた。掛川の深蒸し茶を200グラム2000円ほどで買った。
「新緑がさわやかで、気持ちの良い日ですね。」
気候のことなどを女主人と少し話して店を出た。

JR日暮里駅へ向かった。途中、谷中の商店街で祭りをしていて賑わっていた。

C_1C_2C_3C_4C_5C_7この坂は懐かしい。20年程前、近くに住んでいた姉を訪ねた後、何度かこのコースを辿って日暮里駅へ出た。

2枚目写真は坂上から見下ろした商店街。

3枚目は日暮里駅へ下る坂道。この辺りは寺や墓地が多く緑豊かだ。

日暮里から銀座へ出た。有楽町駅前の高架下舗道の凸凹が懐かしかった。銀座は遊びだけでなく、個展などで幾度となく、その補修だらけのアスファルト舗道を歩いた。

有楽町駅近くで、サックスを吹いていた。切ない音が心に響き、しばらく立ち止まって聴き入った。

有楽町マリオンの丸の内ピカデリーで「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉」をやっていたのでシニア料金1000円で指定席を買った。同時に3Dも上映中だったが、私は普通画面を選んだ。

上映まで時間があるので、ビックカメラで時間を潰した。

土曜なのに客の入りは7分ほどで空席が目立った。人気シリーズだが、さすがに飽きられて来たようだ。しかし、「カリブの海賊」好きの私は十分楽しめた。

今回良かったのは、人を海底に引きずり込んで食べてしまう凶暴なキャラクターの人魚たちの清純な可愛さだ。このあたり、さすがディズニー作品で、エレクトリカルパレードの白雪姫などに通じる清純な魅力があった。

筋書きでは、宣教師の若者に助けられた人魚は恋におち、若者を連れて海底へ消えた。その後の説明はなく、映画を観終えてから二人がどうなったかとても気になった。

シニア料金の1000円に満足して、8時に帰路についた。

誰もいない家に帰ると、ふいに母の法要のことを思い出した。
母が死ぬことは十分に覚悟していたが、1年近く経ても一人の生活には慣れない。こんな時に家族がいれば癒されるのだろう。先人たちは老いるとは寂しくなることだ、と言っているが、私は二重にその寂しさを感じている。

23日日曜は一転して曇り空から雨になった。
画材が足りなくなったので、午後は出かけた。途中、赤羽駅近くの画廊に寄って、展示してあった骨董品のオリーブグリーンのブドウ模様のカットグラスを買った。

池袋の世界堂で画材を買った。北赤羽駅からの帰り道は雨が止んでいた。
戸田橋たもとの旭硝子の煙りが遠く白く見えた。

帰宅すると同時に、近所の公園から「夕焼け小焼け」が聞こえた。
この曲が聞こえ始めた6時に母の容態は悪化し、6時半に死んだ。毎日毎日、その時刻に母の死を思い出している。ただ、当初の激しい哀しみは次第に緩やかになり、今は静かな哀しみに変化した。

C_8買ったグラスに酒を満たし仏壇に上げた。母の家系は酒豪揃いだが、母は酒は強いのにまったく飲まなかった。しかし、43歳の厄年に脳溢血で死んだ繁兄はウイスキーのボトルをビールを飲むように軽々と空けていた。

あの世で母は、酒好きの繁兄や伯父たちと酒を酌み交わしているのかもしれない。


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