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2011年6月25日 (土)

普通であることの大切さを最近強く感じている。11年6月24日

暑くなってからはいつも仕事部屋の窓を開けている。窓の下は通路で、その更に40メートルほど下に新河岸川が流れている。朝、仕事部屋でぼんやりしていると船の音が聞こえた。漁師町育ちなので船のエンジン音が好きだ。すぐに玄関を開け、隅田川へ下って行く作業船を撮った。

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母の一周忌が近づくにつれ、いつもより強く母のことを思い出す。去年の今日の日記を読むと、母はすでに一歩も歩けない程に弱っていた。しかし、まだ会話は可能で、買い物へ出ると言うと「行っておいで。」とベットから見送ってくれた。
母はそれから3日ほどで殆ど声をだせなくなった。

E_2E_4E_6E_7E_5E_8E_9そんな母を思い出させるようにコウゾの実が熟した。この実を見上げながら、薬局へ介護用品を買いに行った。
しかし、すぐに母は逝き、大量に買い込んだ介護用品は総て無駄になってしまった。

散歩道のブルーベリーも熟し始めた。
2009年、母の車椅子を押していると、持ち主が呼び止め、熟しているのをビニール袋一杯に摘んで母に渡した。

御諏訪神社境内のビワも熟した。
小粒だが、市販品よりずっと甘く濃厚な味で美味い。
これも、母の好物だった。

東京北社会保険病院の庭のヤマモモはカラスに見つかって今年は全部食べられてしまった。
しかし、住まい下の遊歩道のヤマモモは豊作だった。
木に登ってつまんでみると、意外に甘かった。

それらの自然の変化の一つ一つが母の記憶に繋がる。
思い出は素晴らしいが、辛くもさせる。

緑道公園を散歩していると知っている老人に出会った。
赤羽自然観察公園の帰りだろう。
去年まで、80歳過ぎているのにかくしゃくとして元気だった。
それがわずか1年の間に肌の張りがなくなり、とぼとぼと歩いていた。

目が合ったら挨拶しようと思っていたが、気づかなかった。声をかければ喜ぶだろうが、何となくその気になれなかった。

去年の春、母の車椅子を押していると彼の方から近づいて、母ににこやかに話しかけていたのに、記憶も弱ったようだ。後ろ姿からも以前のような力強さが消えていた。

母を介して知り合った老人の殆どが、わずか1年の間に見る影もなく弱ってしまった。

3月11日の地震の日、人形ケースが宙を飛んで壊れた。その時、人形が何かにぶつかり、大切な顔にヒビと凹みが入った。先日、痛んだ部分を削り、膠で溶いた胡粉を盛った。そして十分に乾燥させてから木賊で表面を磨き、墨で眉を描き直した。修理は完璧に出来た。
人形の名はお雪さんと言って、母が可愛がっていた。
次はアクリル製の人形ケースを買おうと思っている。

一人になってから徹底的に食事と運動に気を付けている。別段、長生きしたいとは思わない。
8年間の母の介護で、体はボロボロになってしまった。97歳の母の年齢どころか、父の80歳を迎えることも無理だ。せめてもの願いは、死ぬまで自立できることだ。これは強烈な願いで、その為なら、どんな節制も我慢できる。

他に心がけているのはおせっかいだ。
1日に1回は人におせっかいをしている。今日も、公園でリハビリしている熟年男性に声をかけた。長身で肌色も良い。健康だったら社会的に活躍していたはずだ。

「大丈夫ですか。」
足元を気遣うと彼は笑顔になった。脳梗塞かと思ったが、原因は頸椎損傷で頭はしっかりしていると彼は話した。
「筋力を保っておけば、新治療方法ができて治りますよ。」
と言うと、彼も医療ニュースには気を付けているようで、それを願っていた。

今は声をかける立場だが、突然、声をかけられる立場に変化することはありえる。普通であることの大切さを最近強く感じている。

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