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2011年6月 5日 (日)

NHK、原発危機、事故はなぜ深刻化したのか。11年6月5日

この番組で、事故原因はほぼ総括されたようだ。事故原因は、全電源喪失は絶対に起きないとした危機対応マニュアルにあった。全電源喪失が伝えられると、政府は周辺地域から50数台の電源車を現場に集めた。しかし、事前の訓練も準備もない状態では、繋ぐケーブルは無く接続法法すら現場は持っていなかった。更に致命的なのは、津波によって電力系が破壊され機能していなかった事だ。そのために、圧力容器内の圧力を逃がすベントが働かず、建屋内に人を入れて手動で開けるまで7時間かかった。

その辺り、管政権が右往左往して遅らせたと自民党は激しく攻撃していた。しかし、番組中の関係者証言が正しければ事実は違う。初期段階で政府は強くベントを指示したが、東電内部の混乱でベントは7時間遅れた。その結果、水注入ができず、水素が発生して爆発して致命的な事故を招いてしまった。いや、それどころか津波被災から4時間で1号機のメルトダウンが起きていた。

被災当初、東電本社と政府に安全神話が生きていて、危機意識がなかったことが決断を遅らせた。対策が後手に回った理由はそれだけでない。東電はベントが必要な事態は絶対に起きないとして、ベント用の弁の設置すら2001年まで拒み続けていた。それどころか、圧力容器の非常用の冷却システムの蒸気系凝縮機能まで2004年に取り外している。そのような東電に事前の危機意識を期待するのは無理だった。

津波直後のまだ放射線値が低い内に建屋内に作業員を入れ、手作業で格納容器と圧力容器の排気弁を開け、注水をすれば事故は防げた。しかし、ベントをすれば放射性物質を大気中にばらまくことになる。それをするには事前に周辺住民の退避が必要だ。住民退避でも、東電と政府はまごつき、事故が防止できた僅かな機会を無にしてしまった。

何故、東電と政府はまごついて絶好の機会を失ったのか。それは原子炉事故に備えて福島第一から内陸5キロにあった司令施設のオフサイトセンターの非常用電源と通信系統が、地震で総て壊れてしまったことも一因だ。そのために、重要な機器操作や住民広報を担う関係者が集まれず、対策総てが後手に回ってしまった。そのような甘い想定にも東電の危機意識のなさが露呈している。

水素発生の想定もなく、建屋天井には水素を逃がす弁は始めからなかった。緊急に高圧水で穴を開ける方法があったが、火花発生の可能性はあり無理だった。以上の経緯を見ると、原発事故は地震津波が起きた時点で決定的だったと言える。

明確な政府の不手際は詳細な放射線汚染の広がりを事故直後に把握していたのに、適切な指示を行わなかったことだ。そのため、低レベル地区から高レベル地区へ避難するような混乱が生じた。管政権はこのことをしっかり反省すべきだ。

自民党の一部議員は自分たちなら事故を招かなかったと豪語しているが信じ難い。そもそも、事故の下地を放任していたのは自民党政権だった。この不完全なシステムではどの政権であっても同じ経緯を辿る他ない。事故を防ぐ役割があった東電の原子力村に自由な討論の雰囲気は無く、専門家たちは歪んだ安全神話を醸成し、妄信してしまった。

事故の根源は、電力会社が政官と産業界とマスコミ総てを支配していた点にある。独占企業の電力会社は国民から高収益を上げ、潤沢な資金で支配体制を強めて行った。かって小泉政権は郵政民営化に力を注いだが、本当に解体すべき相手は郵便局ではなく電力業界だったようだ。

今回の野党の政府攻撃の根底に東電の影を感じる。一連の動きを見ていると、無能な管総理をスケープゴートにして、最終的に現政府と国民に責任を押しつけ、生き残りを図っている。管総理の呆れる程の無能さを一番喜んでいるのは野党だろう。彼らは民の苦悩を思って決起したと、きれいごとばかり言っているが、被災民の苦難は党利党略の道具に過ぎない。

番組中での言及は無かったが、メルトダウンの発表の遅れについては、もし、迅速に発表していたら大パニックが起き、その被害の方が大きかったと思われる。日本国民はメルトダウンが起きれば映画「チャイナシンドローム」のように、日本全土どころか地球の半分が高レベル汚染に晒されるような恐怖心を抱いていた。

6月に入ってからの発表は遅過ぎるが、今回のケースで情報を遅らせたのは必要悪だ。被爆の健康への影響数値もその一つだ。もし、逃げる方法があるなら、万分の一の危険でも避難させるべきだ。しかし、狭い国土で、東日本の住民を避難させるのははなはだ難しい。そこが広大な国土があったチェルノブイリとの大きな違いだ。だから、被爆に対して政府が楽観的発表をしたのは仕方ない選択だったと思っている。

今日、福島第一から1.7キロ地点で微量の放射性プルトニウムが検出された。これは米ソ核実験時代の日本と同レベルだ。当時私は小学校の学校新聞作りをしていて、ストロンチウム、プルトニウム、ガイガーカウンターの名を覚えた。当時の国民は、放射能雨で濡れると頭が禿げるくらいの認識しかなく、北半球の大部分が、福島の立ち入り禁止地域並みに汚染されていた。それでも我々の世代にガン発症は増えてはいない。

退避させるさせないの政府方針は、総体的なリスクの比較によって決定されるものだ。今回は一歩進んで、正確な情報を楽観的な視点で出すのが最良だったかもしれない。現実に、メルトダウンが起きている最中に日本国民は平静に生活していて、後になってメルトダウンとはその程度のことと知った。

被爆に関しては神学論争のような現実を無視した論争が行われている。そのような論争は学者に任せ、政府が全体のリスクを考慮して判断を下すのは仕方がない。今となっては、東日本の国民は低レベル放射線と共存する他ないからだ。

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都営桐ヶ丘団地。循環バスの乗客は老人ばかり。
老人たちは危なっかしくバスを下りて、杖をつき辛そうに団地の階段を上って行く。団地が作られた半世紀前、このような高齢化社会の出現は考慮されず、団地の1階すら4,5段の階段を上らないと住まいには辿り着けない。中央の樹木はカイヅカイブキ。

B_1B_2_2B_3B_4B_5B_6今日の四葉のクローバー。
東京北社会保険病院下の公園で見つけた。
先日の草刈りでも生き残った運の強い四葉のクローバーだ。

緑道公園のアジサイ。

緑道公園の桑の実。とても甘い。

都営桐ヶ丘団地のフヨウ。

都営桐ヶ丘団地のヘビイチゴ。
美味しそうに見えるが酸っぱくも甘くもない。

散歩道脇の植え込み。
高山のハイマツのような清浄感があった。


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