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2011年7月 1日 (金)

十条のお富士さんから湯島天神の夏越しの大祓へ。そして母の一周忌。11年7月1日

激しい雷雨が過ぎた。思った程に気温は下がらなかったが、室温30度湿度70%は私の適温の範囲。昼間は姪が線香上げに来た。母の元気な頃のDVDを見たり、ビールを飲んだりした。
母の知人たちから花が届いた。お詣りに行けない詫びの電話も入って忙しかった。姪が帰った後にも来客が続き、一人になると寂しくなった。

夕暮れ、窓のすだれを通して薄日が仕事部屋へ射し込んだ。川向こうの公園から「夕焼け小焼け」の曲が聞こえると同時に、哀しみがこみ上げた。いつものトラウマだ。去年の7月1日、午後6時に母の容態が急変して、6時半に死去した。この30分間は今も辛い。

先週は、一周忌を前倒しにして姉が来て、お隣を招いてささやかに母を偲んだ。
「一年が過ぎるのは早いね。」
姉がポツリと言った。本当は早く過ぎたのではなく時間が停止したままなのだ。一周忌をきっかけに再び時間を動かそうと思っているが、なかなか動こうとしない。

昨日、6月30日。
十条のお富士さんの祭礼だった。予報はピタリと当たり、午前中の好天から、午後は雨に変わった。

M_5M_3M_10写真は「十条のお富士さん」の祭礼での富士塚木陰での雨宿り。
十条は昭和38年から9年間暮らした。
雨が落ちる都度、浴衣がけの子供たちはクモの巣を散らすように雨宿りに走った。

ふいに私の名を呼ばれた。
振り向くと旧知の人だった。可愛い4,5歳の女の子を連れている。
「お嬢さん。」と聞くと「幾つだと思っているの。孫よ。」
彼女は明るく笑った。考えてみると彼女は50代半ばで孫がいてもおかしくない歳だ。
そのように、いきなり過去へ引き戻したり、年月の過ぎる早さ見せつけたり、十条は残酷な街だ。

去年は母の介護で行けなかったので、祭礼のついでに知人の墓に詣った。お詣りした故人は、その墓に花を絶やさない人だったが、子供の代になって花の形跡はなく寂しかった。

それから京浜東北線で鴬谷へ向い、寛永寺の甥の墓に詣った。こちらもお詣りの形跡はなくひっそりしていた。

鴬谷から上野公園へ抜け、不忍池から湯島天神に夏越しの大祓を受けに行った。こちらも母の介護で去年は欠席した。

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雨の不忍池の貸しボート。

M_1M_2始まるまで社殿の軒下で雨宿りをした。

隣に中学入試の祈願に来た女性がいた。終わったら新橋へ飲みに行くと話すと、
「お酒に、ご一緒させていただけません。」とその人が言った。
キッチンドリンカーかなと思いながら、
「新橋まで歩きますから、その靴では無理ですよ。私は歩き方が早いし。」と答えた。
江戸時代じゃあるまいし、馬鹿な断りをしたと思った。本当は新橋の姉が手伝っている店に行く。はっきり、野暮用があると言えば良かったと、少し後悔した。

大祓は6時に終わり、新橋の姉が手伝っている店へ向かった。母への供物が溜まったので届けるためだ。
雨は止み、御徒町へ向かう春日道路に夕日が差し始めた。

御徒町で山手線に乗ると目の前に若い女性二人連れがいた。ファツションを褒め合っている会話が可愛い。グラマーな体型でニットのTシャツがとても似合っている。
「可愛いね。」
思わず声をかけると明るく笑った。彼女たちは銀座へ向かっていると話した。
「銀座でも目立つから、皆に振り返られるよ。」と言うと更に喜んだた。有楽町まで彼女たちと雑談できて楽しかった。そのような出会いは知人と甥の墓にお詣りした功徳かなと思った。

新橋の店でビールを飲んだ。
「大介の墓は、誰もお詣りした形跡がなかった。」
甥の母親である姉に話すと、「すぐに行ってあげなくてはね。」と、少し寂しそうにしていた。
早めに店を出て、帰路に着いた。
良い日だったのか、そうでもなかったのか、複雑な思いが残る1日だった。


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