神が与える災難には、同時に救いも用意してある。11年7月11日
神が与える災難には、同時に救いも用意してある。
「神は乗り越えられない試練は与えない。」
キリスト教の言葉だが、キリストより500年前の孔子もまったく同じことを言っている。この言葉は普遍的な真理のようだ。しかし、世間では苦難ばかりで救いはないと誤解されている。誤解の理由は与えられている救いが簡単に見つけられないからだ。
神は不親切だ。
彼が用意してくれた救いは大抵は未完成で、自ら探し出し、やって見つけてもそれは部品だけで説明書もなく、自分で完成させないと役に立たない。だから、努力が嫌いな人には救いなどないように誤解されてしまう。
梅雨明けの我が家からの眺望だ。
午後2時に散歩へ出た。熱いが空気が乾燥していて心地良い。霧吹きで服を湿しながら歩くと涼しいくらいだ。この好天を見上げていると、様々な喪失感は消え、生きている素晴らしさを感じる。この神の救いは分かりやすい。
2日分の食材を買い込んだリュツクを背負い帰宅した。
13階までの階段を一歩一歩、休まずに上る。これは、母との死別以来、毎日の大切な行為になった。家康は、「人生は重い荷を背負って歩くこと。」と言った。私はそれを階段になぞらえている。
終わりのない階段を上り続け、もう上れないと立ち止まった時に死が訪れる。だから、あと何段で13階か、などとは考えない。辛い上っているその時こそ、生きているそのものだからだ。
face book を始めたが、ようやく使い方が分かって来た。
ブロクが不特定多数に発信するのに対し、face book は交友関係に限定される。ツイッターはリアルタイムで会話が進むが匿名性が高く、時には炎上したりする。face book にもツイッター機能があるが、相手の名前や履歴が分かっているので、節度あるものになる。
交友関係は、友達の友達と言う形で広げることができる。ただし、face bookでは「友達リクエスト」は会った者に限定することが原則になっている。しかし、厳格に守っている参加者は殆どいない。何度かコメントを交わすうちに、「友達リクエスト」をすれば不自然ではない。ただし、前置きなしに「友達リクエスト」をするのは、品格に欠ける。
face bookを活用するにあたって、選ぶ相手は重要になる。考え方や生き方が相容れない者は選ばないが良い。その選択を間違えて離れる者は多い。相手の選び方は、友達登録が極端に多い者は避けたが良い。節度を守って続けて行けば、自然と波長が合う友達の輪が出来て行く。
「1日1回親切」は守っている。
階段を辛そうに上り下りしている老人に「大丈夫ですか。」と声をかけると実に嬉しそうに「ありがとう。」と礼を言う。別段、手を取ったりエスコートはしないが、声をかけるだけで老人たちの足取りが良くなる。見捨てられてはいず、いつも誰かが見守ってくれている、と思うだけで元気が出るようだ。これも神が用意してくれた救いだろう。
星美学園の崖下にムクゲが咲いた。
この白は清楚で好きだ。
清楚なのに強靭で、40度近い炎暑の中で元気に咲いている。
昨夜は装丁の仕事で徹夜した。
絵としては良い出来だが、印刷が難しそうだ。
イラストとファインアートの違いの一つに印刷での再現性があるかどうかだ。印刷会社能力に影響されるこの判断は難しい。悩んだ末、納品を伸ばして描き直すことにした。
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