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2011年7月 6日 (水)

上野歯科医院の帰り、誰もいない家に電話した。11年7月5日

写真の介助型車椅子は非常階段に20年前から放置してある。この車椅子を使っていた方は既に亡くなっているだろう。だから、傍らを通る都度手を合わせている。先日、それに7月14日までに持ち主が引き取らなければ処分する、との警告札が下がった。

13階の住まいへは、毎日階段を使っている。深夜、傍らを通ると車椅子が「お帰り。」と声をかけてくれるような気がしていた。14日になくなると思うと、少し寂しい。今日は背もたれに触れ「さよなら。」を言った。

N_00車椅子には2種ある。

車輪が大きくて自走できるタイプと、車輪の小さい介助タイプだ。

自走式は車輪が大きくて段差を乗り越えやすく、走行性は良い。

しかし、車輪が袖を巻き込んだり汚したりする欠点がある。だから、自力で走行できない老人は車輪が小さい介護型を使う。母も介助型を使っていた。

午後、
上野歯科医院に、3ヶ月に一度の歯石クリーニングに行った。
たまたま昨夜、奥歯に詰めていた紫外線硬化樹脂が外れたので、ついでに治してもらった。

こちらの先生たちは実に腕が良い。手早く樹脂を詰めて、擦り合わせも的確に終わった。歯肉の健康は良く、歯の調子も良くて気分がいい。
歯科医院からの帰り道、母が生きている頃は、「治療が終わったからすぐに帰る。」と家に電話を入れていた。それを思い出して、何となく家に電話を入れてみた。誰もいない家で呼び出し音が鳴り続けるのを聞いて切った。

N_40

帰り着く頃に空を雲が覆った。右手遠く、大宮辺りに雨が降っているのが見えた。

N_41暫くすると激しい雨がやって来て、玄関前通路をにぎやかに打った。

冷たい風と一緒に雨が吹き込むので仕事部屋の窓を閉めた。

ベランダへ出ると、環八が激しい雨で霞んでいた。


先日、映画「シティ・オブ・エンジェル」を見た。映画の中で、死に瀕した病人に迎えに来た天使が見えるシーンがあった。終末期、よく母も私の背後を見ていたが、あれは傍らに誰かが見えていたのかもしれない。

もし、死んだ母と話せるなら、聞きたいことや言いたいことがある。
まず、「ありがとう。」を心から言いたい。ちょっとしたことに軽く「ありがとう。」は何度も言っていたが、
「生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。」
と、心から言ったことはない。

母は終末期、繰り返し「ありがとう。」を言っていた。それは、自分が両親に対して言わなかったことへの反省からと思ってる。母も私同様に言えなかったので、私が言わなかった気持ちは十分に分かっていたはずだ。

聞きたいのは死ぬ時の気持ちだが、絶対に聞けないので推測する他ない。
死ぬ時は、長い階段を上り切って空が見えた気分だと先日書いたが、外れてない気がする。

体調が悪い頃は13階へ上り切る頃に苦しくなって死をイメージしていた。しかし、最近はいつの間にか上り切り、気づかずに14階まで行ってしまうこともある。一時的に死が少し遠ざかったようだ。

先日、このブログのアクセス数が1位になった。
それは1日で終わり今は定位置に落ち着きつつある。エログロではないこのブログが1位になったのはうれしい。震災以来、アクセスが増えた。日本人の心が変わったようだ。


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