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2011年8月15日 (月)

敗戦特集からETV特集アメリカから見た福島原発事故。トップたちの無能さは共通していた。11年8月15日

日本の個々の指導者は優秀なのに、組織として力を発揮できないのは、仲間内の合意を重視し過ぎるからかもしれない。ETV特集「アメリカから見た福島原発事故」でも、その欠点が露呈していた。

米国1975年、福島原発のマークⅠ型原子炉を設計したGE技術者ブライデンボウ氏は圧力容器の脆弱さに気づき、GEと電力会社に停止を進言した。事故の 想定は、電源喪失、メルトダウン、水素爆発と福島原発事故経緯と全く同じだった。

報告は米国議会の公聴会に持ち込まれたが、原子炉事故は隕石落下より確率は小さく絶対安全としたマサセッチュー工科大学のラスムッセン報告が電力会社と政府に支持され、却下された。しかし、マークⅠ型の脆弱性が無視された訳ではない。暫定措置として設置場所は地震が殆どない東アメリカに限定された。

その経緯を日本政府や電力会社が知らない訳はない。世界有数の地震国で、米国以上に危険な状況であるにも関わらず、日本はラスムッセン報告の都合良い部分だけ受け入れ、事故対策を疎かにしてしまった。出演していた当時の日本政府の安全委員会委員長は、歴史上始めてのことが起きたのだから事故は仕方がないと意に介しなかった。しかし、1000年前の貞観地震で同規模の津波が起きていることは公知のことだ。原子炉安全の専門家がその程度の知識だから、事故は起こるべくして起きたようだ。

今、原発事故は菅政権の稚拙な対応のせいにされている。もし、そのように決着されたとしたら、事故は再度起こるだろう。安全システムとは、どんな間抜けでも操作できなければ意味がない。今回の事故は専門家が大勢いながら、なす術もなく起きた。それは有効な安全システムが始めから存在しなかったとことを示している。

例えば福島第一では、海岸近くに地下室を増設して非常用発電機を置き、更に地上にあった非常用発電機をわざわざ隣の地下室に移動させている。これでは浸水があれば、全電源喪失は防ぎようがない。地震の少ない米国ですら、非常用電源は別位置に設けて安全を図っている。それを始めて番組で聞かされた旧東電首脳は「なぜ、このような馬鹿な非常識な設計をしたのか。」と絶句していた。そして、「原子炉は絶対安全と信じていたので、非常用電源については安全委員会も含め、誰も真剣に考えなかったのだろう。」と彼は説明した。

日本の電力会社首脳は米国GEが進言した格納容器のベント装置の設置すら始めは反対している。もしベント装置がなかったら、原子炉は大爆発を起こし、日本半分は大汚染していた。
渋々増設されたベント装置だが悔やまれるのは石油精製やホイラーなどで確立している安全思想が生かされず、バックアップ体制が不十分だったことだ。そのために、思い通りベント作業が進まず大幅に遅れて水素爆発を起こしてしまった。もう一つは、ベントの排気口にフイルターを設置しなかったことだ。もし付けていたら放射性物質の拡散はかなり抑えられていた。

フイルター装置を付けなかったのは、装置が大きくて外から見てそれと分かるからだ。絶対安全なものに不要なベント装置を付けた上に、フイルター装置を反対派に騒がれたら迷惑千万と電力会社首脳が退けたからだ。今思うと激烈な原発反対運動にも問題があった。既に完成してしまった原子炉に関しては現実を認め、徹底的に安全運転と事故防止を要求すべきだった。

原子力村と言われる研究者たちにも問題はある。彼らは他部門の問題点に気づいても反発を恐れて指摘を自粛し、システム全体を見渡すことを放棄してしまった。日本産業の強みは他部門との擦り合わせの巧みさだ。しかし、原子炉に関してはその能力はまったく生かされなかった。

指導者の無能さは日本の伝統のようだ。敗戦へ至る特集でも様々に指摘されていた。
たとえば、戦前日本の情報解読能力は世界トップレベルだった。今までは、日本は情報戦でも破れていたとされていたので意外な事実だった。問題は現場から上がって来る正確な情報をトップが無視したことだ。彼らは都合の良い情報だけを信じていた。

中国蒋介石政権を支援する米英が、日本包囲網を進めていたこと。満州国設立に英国は理解を示し、米国がとことん日本を追いつめる気はなかったこと。総てを情報解読で詳細に掌握しながら、軍首脳は急進派に引きずられる形で、国際連盟脱退から日独伊同盟へと戦争へ突き進んでしまった。敗北することで戦前の体制を打破し民主化できたのだから結果は悪くないが、犠牲は余りにも多過ぎた。

広島原爆投下は、特殊任務のB29が広島に向かっていることを情報分析で事前に到着時刻まで予測していた。しかし、空襲警報は出されず、防空壕に退避しなかった多くの市民が強烈な熱線に晒されて死んだ。
長崎は明確に原爆搭載機が向かっていることを2時間前に掌握しながら、大本営は迎撃命令も空襲警報も出さなかった。その時、首脳たちは御前会議に集まり、ボツダム宣言受諾後の自分たちの身の振り方に汲々として、報告を受けながら迎撃命令を発しなかった。

当時、B29迎撃用の高性能機「紫電改」が各地に配置されていて、十分に撃墜可能だった。紫電改の生き残り老操縦士はその事実を今始めて知らされ、「迎撃命令を受けたら、体当たりしても撃墜した。」と悔しがっていた。もし、命令が出ていたら、長崎の市民が救われた可能性はとても大きい。

そのような愚かな首脳たちが後年靖国に合祀された。今日、参拝した国会議員はそのことを知っているのだろうか。大本営の机上の空論で戦死した兵士たちと、命令した首脳たちを、参拝議員が同列に考えているとしたら絶対に許せない。

一連の特集を見て、大戦から原発事故、指導者たちの失敗の根にあるものは怖い程に共通していた。

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緑道公園の百日紅。

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赤羽自然観察公園の空。
シルエットは古民家。

M_10M_16M_9M_17赤羽自然観察公園の山ブドウ。積んでみると仄かに甘酸っぱかった。

ヤマグリ。
子供の頃、青いうちに柔らかい栗を生で食べた。
ほの甘くて美味しかった。

エノキの実。
甘く、独特の食感と風味がが良い。

古民家の前の田圃。
既に稲穂が出ていた。

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