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2011年9月 4日 (日)

華やかな ライトに萎れる胸の薔薇 11年9月3日

母が死んで一人暮らしになってから、独り言をつぶやくようになった。無意識にではなく、回りを見渡して誰もいないことを確認してからだ。そうしないと、変な人に思われてしまう。

先日、散歩しながら「あー、嫌だねー。」と昔の失敗を思い出してつぶやいたら、直ぐ横で、若い女性がビックリして見ていた。彼女に言ったのではないと、再度、自分の頭を叩きながら「嫌だ嫌だ」と繰り返すと彼女は安堵していた。

内仕事で一人暮らしなので、その気にならないと本当に人と話す機会がない。定期的に友人たちに電話をするが、相手によっては長電話になるので、毎日は無理だ。一番良いのは散歩コースで出会う顔馴染みたちと数分立ち話することだ。しかし、その機会がないことも多い。だから勢い独り言が増える。そうやって、喋る機能と心の均衡を維持している。

最近、家でつぶやくのは次のようなことだ。
「色々苦労したけど、悪い一生じゃなかったな。」
そして、「かあちゃんも、悪い一生じゃなかったね。」と続ける。

私の親しい者たちは、私が母を「かあちゃん」と呼んでいたことをみんな知っている。高校生になった頃、それが恥ずかしいと思い「かあさん」と呼んだことがある。すると「バカ、何言ってるの。」と母に一蹴され、二度と使わなかった。
後年、三島由紀夫が子供たちに「とおちゃん、かあちゃん。」と呼ばせているのを知った。高名な文学者が使うからには正しい言葉遣いなのだろう。それを知ってからは平気になった。

死んだ母には、可愛いペットに会ったり、旧知の人の近況を聞いた時など語りかける。当然だが母の返事は聞こえず、少し寂しくなる。そのことを知人の未亡人に話すと、彼女の場合は、話しかけるとあの世から彼が答えてくれると言っていた。だが、私はどう努力してもその境地には達しそうにない。

先日、4年前に愛妻を亡くされた年長の知人に「4年経ても喪失感は強いものですか。」と質問した。
「時間の経過で薄まるものは本当の喪失感ではない。世界の半分をなくしたのが本当の喪失感で、4年経ても強まるばかりだ。」
知人はそう答えた。一般的に夫より妻が長生きする。だから、妻の死を想定する夫は少ない。だから、先立たれると、残された夫は心も生活も準備不足で喪失感に苦しむ。その点、親の死は当然のことで、心と生活の準備を怠らない。それでもかなり辛い喪失感に悩まされたが、妻を亡くした夫より軽いと思っている。

しかし、知人がそれを聞いたら「どんなに準備をしても、大切な人を亡くせば喪失感には囚われるものだ。」と答えるに違いない。大切な人を亡くすことは、そう言うことだ。

時折、孤独に躓いている私を救ってくれるのは貧乏かもしれないと思うことがある。少々寂しくても、お金が乏しくなると、俄然生きる意欲が湧いて来る。意欲が湧けば寂しさは薄れる。
先の知人は東大を卒業してエリートコースを歩き生活に不自由はない。そのゆとりが、かえって喪失感を強めているかもしれない。

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昨日から今日へ、台風の余波で天気が目まぐるしく変わる。強い日射しが照りつけた一瞬後に、バケツをぶちまけるような豪雨が来て、再び数分後に強い日射しが戻る。

F_2F_3F_4F_5F_6今日の午後、知人のピアノリサイタルへ出かけた。
日射しがあり、雨は大丈夫と思ったが、念のために傘を持って出た。

写真の橋上は埼京線北赤羽駅。
家から5分の距離だ。

上写真の30秒後、橋の下に着いた途端に、バケツをぶちまけたような猛烈な雨が来た。

傘がまったく役に立たない程の豪雨だ。
橋の下に、次々と雨宿りがやって来た。
数分後には私を含め老人ばかり五人が雨宿りをしていた。

リサイタル会場に着いた。
ゲストの古楽器のガンバ。
メインのピアノはともかく、この音が聞きたくてここに来た。
この小ホールは残響がよく、古楽器演奏に向いている。羊の腸で作られた弦は湿度に弱く、二人は調整に苦労していた。しかし、来て良かったと思う程に素晴らしい演奏だった。曲は「2台のガンバのためのソナタより 第3番 ニ長調 ヨハン・シェンク」古楽器は自然の音に近くて心地良い。その直後のピアノの音が人工的に聞こえ、気分を合わせるのに苦労した。

ピアノの彼は知人のお弟子さんだ。
音大を出たのに、全く音楽とは無関係の会社で働いている。
そのくたびれたサラリーマンが演奏を始めると、情感豊かな素晴らしい音が会場に響いた。

曲は「エチュード op42-No5 スクリャーピン」
彼のような才能は日本中に埋もれているのだろう。地方自治体は大ホールより、小ホールを数多く造り、夜間に無料解放して気楽な演奏会が開けるようにすれば日本の文化水準が上がるのだが。音楽家は絵描きと比べると発表のチャンスが少な過ぎる・・・

華やかな ライトに萎れる胸の薔薇

演奏後は、40年来頭をあたってもらっている床屋さんと帰った。
帰りもバケツをぶちまけたような豪雨。床屋さんは傘を置き忘れて慌てて会場に戻った。彼は、イタリーの床屋さんみたいに見事なテノールで唄う敬虔なクリスチャンだ。赤羽に着くと、雨は嘘のように止んでいた。

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